月間アーカイブ: 2015年6月

  2015-06-30 神戸新聞掲載されました

本校の情報モラル学習が6月30日(火)の神戸新聞に掲載されました。
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画像をクリックすると拡大します。
ぜひご覧ください!

 

  2015-06-29 情報モラルアンケート結果発表

情報モラルアンケート結果の発表が全校生徒の前で行われました。
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アンケート結果では携帯電話を所持している生徒の割合や、
携帯電話・インターネットからのトラブルにあった生徒が実際にいることなど、
リアルな実情を確認することができました。
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また、スマートフォンでの迷惑行為や、インターネットショッピングで注意すべきことなどを
生徒、教職員で紹介したビデオの上映会や
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成りすまし行為などで顔の見えない相手とのやり取りをする際、
注意すべきことを演劇で学習しました。

この全回の情報モラルについて考える学習が、今後皆さんの役に立てばと願います。

 

  2015-06-25 全校礼拝

6月24日(水)に全校礼拝が行われました。
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聖書   コリントの信徒への手紙一13章4-13
メッセージ    「信仰と希望と愛」        樋口 進 牧師

 皆さんにとって一番大事なものは何でしょうか。
高度な知識を身につけること、友達、趣味、家族、いろんなことがあると思います。

しかし、人生においてもっとも大事なことは何でしょうか。
このコリントの信徒への手紙一を書いたパウロというキリスト教の伝道者は、私たち人間にとってもっとも大事なのは、信仰と希望と愛である、と言っています。
恐らくパウロは人生にとって最も大切なものが、こ信仰、希望、愛と思ったのでしょう。

これらは決してお金で買えるものではありません。
そしてパウロは、その中でも最も大いなるものは愛である、と言っています。

8節には、「愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう」とあります。
ここに「知識は廃れよう」とあります。
これは日々実感するものです。
特に最近の科学技術の発達は目覚ましいものがあり、私たちが学生の頃には想像もしなかったようなものが次々と現れています。
パソコン一つにしても、今の学生でパソコンの使えない人は恐らくいないと思いますが、私たちが学生の頃は自分のコンピューターがもてるなどとは思ってもいませんでした。
知識を身につけるということはもちろん大切なことですが、せっかく身につけた知識もいつかは廃れるということもまた事実です。

しかし、パウロは、人生を生きていく上で、廃れないもの、永遠のもの、本当に価値のあるものもある、と言います。
そして聖書は、その本当に価値のあるものを私たちに示してくれます。
しかし、実際のこの世の歩みにおいては、どれが永遠のものか、どれが本当に価値のあるものかは、目先のものにごまかされて分からないのです。

鏡に映すように、おぼろにしか見えないので、どれが本当のものかみ分けがつかないのです。
しかし、信仰によって、本当に価値のあるものに目が開かれていくのです。
私たちにとって、本当に価値のあるものは、やがて廃れてしまうのではなく、いつまでも残るものです。

「最も大切な者は何か」ということは、それぞれ違うと思いますが、それを探求することも皆さん方の課題だと思います。
そしてパウロはそれが信仰と希望と愛である、と言います。
その中でも最も大切な者は、愛だ、と言います。
それでは、パウロが考える愛とはどういう事でしょうか。

4-7節には、次のようにあります。

愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。

これを「愛のある人」と置き換えてみましょう。
「愛のある人は忍耐強い、愛のある人は情け深い・・・」となります。
そして、このような人は、きっと素晴らしい人生を送ることができると思います。

 

  2015-06-23 花の日礼拝が行われました

花の日礼拝が6月22日(月)に行われました

前奏                            讃美歌90番
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聖書                            メッセージ「野の花を見よ」
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祈り                            讃美歌312番
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主の祈り・頌栄                     祝福・後奏
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皆で持ち寄ったお花を高校生徒会のメンバーが花束にしていろいろな施設へどけます。
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この礼拝で普段考えることの少ない花の存在について知り、心を豊かにしてくれればと思います。

樋口 進 牧師のメッセージ  「野の花をみよ」はこちらをクリック

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花の日礼拝

マタイによる福音書6章25ー34節  「野の花を見よ」

今日は、花の日です。
今日は美しい花を飾って礼拝をします。
私達は、花を見る時、何を感じるでしょうか。
ただ奇麗だ、素晴らしい、というだけではありません。

それは、神の愛です。
この花の日の礼拝において、私達は神の私達に対する愛に思いを馳せたいもと思います。
花は、神が私達に下さった、素晴らしいプレゼントのひとつです。

もし、この世に花がなければ、何と寂しいことでしょう。
病気で入院している人にとって、花は大きな慰めとなります。
職場における花は、仕事の疲れを癒してくれます。
食卓に一輪の花があると、食事を一層おいしくさせます。
道路に花が植えられていると、楽しい気分になります。

また、礼拝においても、花は欠かすことの出来ない重要な要素です。
結婚式における花は、新しいカップルを祝福するのにふさわしいものです。
また、お葬式の時の花は、悲しみにある人を慰めます。
私達は、生活のあらゆるところで、花によって喜びが与えられ、慰めが与えられ、力が与えられ、夢が与えられます。

しかし、花の最も重要な働きは、私達に神の愛を教えてくれることです。
星野富弘は、『風の旅』という本の中で、次のような詩を作っています。

「花が上を向いて咲いている 私は上を向いてねている あたりまえのことだけれど神様の深い愛を感じる」

この短い詩の中に、実に深い真理が言われていると思います。
この星野富弘という人は、皆さんよくご存じだと思いますが、高校の体育の教師になって2か月後に、宙返りに失敗して、首の骨を負傷し、首から下がすべて麻痺してしまい、以来、寝たきりの生活になりました。
この星野さんが、たったひとつ動く口を使って、病床で花を描いたのです。
そして、先程引用した詩のように、花を見ることによって、神の深い愛を知った、というのです。
そして彼は、後に洗礼を受けて、クリスチャンになりました。
これは、まさに、神が花を通して、星野さんに神の愛を知らせたように思われます。

さて、今日お読み頂いた所は、イエスが山の上で話をされた記事です。
周りには、奇麗な花が沢山咲いていたことでしょう。
イエスは、その花を見ながら、神の愛、神がいかに私達を養って下さるかを教えられました。

今日の所に、「思い煩うな」という事が繰り返し言われています。
25ー34節の間に、7回も出てきます。
それだけ、私達は常日頃思い煩うことが多い、ということでしょう。
「思い煩う」と訳されているギリシア語は、メリムナという語で、これは人間の奥深く抱いている心配、懸念、悩みを意味しています。

私達は、常日頃、生活上のことで、色々思い悩みます。
皆さんもきっと、いろいろなことに思い悩む時があると思います。
もしも、この思い悩むということから解放されたら、どんなに素晴らしいことでしょうか。

しかし、現実は、というと、私達は、常に思い悩んでいるのです。
職場での仕事のこと、人間関係、子供の教育のこと、病気に対する不安、老後の不安、皆さんだったら学校の成績、受験、就職、異性の問題、家庭のこと、友達との関係など、数えあげらばきりがありません。
私達は、絶えず、このような問題に思い悩んでいるのです。
そして、この思い煩うというのは、昔からそうでした。
ただ、現代は、思い煩わす原因が実に多い、ということは言えるでしょう。
古代においては、ここにあるように何と言っても食べること、着ることなど、明日をどう生きるか、という生活のことが多かったでしょう。

釈迦は、生老病死ということを言いました。
すなわち、生きていくことにおいても、老けていくことにおいても、病気になること、死ぬこと、これらは人生における苦しみだ、と言うのです。
イエスは、ここで、食べ物とか着物のことで思い煩うな、と言っています。
衣、食、住は、人間の生活において最も重要なことです。
イエスは、ここで、食べ物とか着物はどうでもいいのだ、断食して、裸で暮らせ、と言っているのではありません。

33節には、次のようにあります。

まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

最優先するのは、神の国と神の義である、ということです。
すると、私達に必要な物はすべて添えて与えられる、と言っています。
私達がまず求めなければならないのは、神であって、食べ物や着物は、神の恵みとして与えられるものです。
与え賜う神を忘れ、与えられる物にのみ目を向けるのは、本末転倒です。

25節には次のようにあります。

それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。
 
食べるのは、自分の命を保つためです。

ところが、食物と自分の命とでは、命の方が大切です。
そして、この命は、神に与えられたものです。
創世記2章のところには、神は土のちりで人を造り、それに命の息を吹き入れられた、ということが言われています。
即ち、私達は、神によって命が与えられたのです。

そして、神は私達を気まぐれに造られたのではありません。
一人ひとりをかけがえのない者として、造られたのです。
そうであるならば、この命を保つために食物も与えてくれないはずはありません。
また、着物は体を保護するものです。

ところが着物と体とでは、体の方が大切です。
そしてこの体は、神から与えられたものです。
神が大切な体を与えて下さったのです。
そうであるならば、この体を保護するための着物も与えて下さらないはずはありません。

最初の人アダムとエバが「禁断の木の実」を食べて、楽園を追放された時にも、神はこの二人に皮の着物を造って着せられた、とあります。
神に反逆した者にも、神は着物を与えて、守って下さったのです。
そのように、神は私達を豊かに養って下さっているのです。

私達は、心が鈍いために、あるいは肉の欲に支配されているために、その神の保護に気付かないでいるだけです。
イエスは、ここで、空の鳥と野の花で、そのことを教えようとされたのです。
イエスは、ここで、自然を通して、神の愛を教えようとされたのです。
実にイエスは、偉大な教師であったことが分かります。

イエスは、この教えをガリラヤの山の上で語られました。
周りには、小鳥が飛びかっていたでしょうし、また奇麗な花が一面に咲いていたことでしょう。
このような、だれにでも身近なものによって、神の深い愛を教えられたのです。
空の鳥も、野の花も、神の創造されたものです。

しかし、人間は、それらの被造物のなかで、最も大切なものとして造られました。
神は、空の鳥さえ養っているのだから、最も大切なものとして造られた、人間をそれ以上養って下さらないはずはない、とイエスは言うのです。
28ー30節には、次のようにあります。

また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。

ここで「野の花」と訳されているのは、クリノンというギリシア語です。
かつては、「野の百合」と訳されていました。
「百合」だとか、「アネモネ」だとか「グラジオラス」のことだ、と言われていますが、イエスは、恐らくここでは、特定の花をさして言っているのでなく、ガリラヤの野に自然に咲いていた美しい花を総称して言っているのでしょう。

しかしこれは、非常に美しく咲きますが、すぐに枯れてしまいます。
しかし、ソロモンの着物さえ、これほど美しくはなかった、と言います。

ソロモンは、紀元前10世紀のイスラエルの王で、この時代がイスラエルは最も栄えました。
「ソロモンの栄華」と言われているように、ソロモンは贅沢の限りを尽くした王でした。
その宮殿は、絢爛豪華であり、アラビア(今のイエメンですが)から訪ねて来たシバの女王は、その豪華さに、全く気を奪われてしまった、と言われています。

しかし、ソロモンの華麗な衣でさえ、このガリラヤの野の花よりも美しくなかった、とイエスは言います。
権力と財力の限りをつくして誇示したものには限界があります。
神がこのように野の花に与えてくれる美しさを考える時、同じ神が、神のかたちにかたどって創造された人間をより大切に養って下さらないはずはありません。
私達は、神がこのように私達を大切に養って下さっていることに気づかない時、思い煩い、不平を抱き、不満を持つのです。
そういう私達に、イエスは、「ああ、信仰の薄い者たちよ」と言われます。
31ー32節には、次のようにあります。

だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。

生活についての思い煩いは、現状の不満から来ます。
しかし、不満を並べたてたところで何になるでしょうか。
それは、新たな思い煩いにしかならなりません。
27節には、次のようにあります。

あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。

ここでイエスの言っているのは、思い煩いは、全く無益である、ということです。
不満が起こるのは、状況が、境遇が、そうさせるのでしょうか。
そういう場合もあるかも知れません。
何ひとつ不満のないようの状況の人でも不平場かり言っている人もいます。

また逆に、本当に不幸な状況に置かれた人でも、感謝の生活を送っている人もいます。
先程の星野富弘は、不治の病になってかえって神の愛を知るようになった、もし自分が健康で普通の生活をしていれば、一生神の愛を知らずに過ごしたかも知れない、と言っています。

しかし、同じ状況に置かれても、神の愛を知らない者にとっては、それは不満に思い、神の愛を知る者には、それが感謝となります。
同じ人生を歩むのであれば、不平、不満の人生よりは、喜びと感謝の人生の方がいいでしょう。
キエルケゴールは、すべてこの世的な思い煩いは、人間が他の者との比較に悩みつつ、何とかして、自分が特別な者になろうともがき努めることに原因を持つと言っています。

私達が、野の花を見て教えられるのは、そのような他人と比較して自分がどうこうと思い煩うのでなく、創造者なる神が、常に私達を愛し、豊かに養って下さっている、ということです。
私達は、ちょっとしたことにすぐに思い煩ったり、不平を述べたりするのでなく、神の養いを思い、自分に与えられた道を喜び、感謝出来る者になりたいと思います。
この花の日礼拝において、わたしたちは、野の花を美しく咲かせて下さる神の配慮に心を馳せると共に、それ以上に配慮して下さる神の愛に目を向け、感謝をしたいと思います。

 

  2015-06-22 夢ナビライブに参加しました

6月20日(土)にインテックス大阪夢ナビライブが行われました

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本校は高校生が参加し、いろいろな講義大学などのブースで話を聞き
自分たちの将来や、進みたい進路について考えました。

この行事が生徒たちのさまざまな進路実現につながることを期待します。

 

  2015-06-19 遠足in岡山

6月12日(金)に高校1~3年生の美術科岡山県に行っていました!

 

倉敷美観地区に行きました!良い天気
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大原美術館にも入り、主な作品である西洋美術や日本美術等、コレクションリストもたくさん見てきました!
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  2015-06-18 全校礼拝が行われました

毎週水曜日は朝に全校礼拝が行われます。
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6月10日、6月18日は以下のようなお話をしていただきました。
6月10日(水)
聖書    マルコによる福音書10:42-44
メッセージ 「仕える者に」          樋口 進 牧師

今日の箇所はイエスの弟子であるヤコブとヨハネが、「イエスが成功したら私たちを上の立場の役としておいてほしい。」と願い出てきた話しです。

ヤコブとヨハネはペトロに次ぐ重要なイエスの弟子でした。
しかし、これを聞いて他の弟子たちも大変怒りました。
自分たちだって上の立場につけてほしいと思っていたからです。
そこでイエスはこう言いました。
「異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力が権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。」
一般の世間では人々を支配したいと思っていても、あなたがたの間ではそれではダメだといっています。
「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕(しもべ)になりなさい。」

上の位にたったり、支配することがえらいわけではない。
本当に偉いのは人々のために仕えること。
イエス自身がそうでした。
イエスは食事の席で弟子たちの足を洗ったことがあります。
この時代で足を洗うことは弟子たちの仕事なのに。
それを自らやったのです。
 それは弟子たちも他の人々に奉仕をすること。
仕えるということを伝えているのです。

キリスト教の精神の中で、「奉仕の精神」というものがあります。
人々に仕えるということです。 いばるのではなく、人々のために、周りの人のために行動することが本当の偉さにつながるのではないかと思います。

6月18日(水)
聖書    マタイによる福音書20:12ー14
メッセージ          「同じ扱いをしたい」          樋口 進 牧師

今日読んだ話は、イエスがされた譬話で、「ぶどう園の労働者の譬」と言われています。
ここのぶどう園の主人の行動は、非常に変です。
長く働いた人も少ししか働けなかった人も同じ賃金を支払ったからです。

ぶどうの収穫の時期は、人手が沢山いります。
そこで、ぶどう園の主人は、夜明けと同時に市場に行って、人を雇うのです。
その時、雇われる人と1日1デナリオンの約束をしたのです。
1デナリオンというのは、当時の1日の賃金の値でした。

それから、まだ人手が足りないので、9時頃と、12時頃と、3時頃にも市場に行って人を雇ったというのです。
その時は、「相当な賃金を払う」と言うだけで、いくらとは約束していません。
それから、5時頃にも出掛けて行って、まだそこに立っている人を雇った、というのです。

さて、日が沈んで賃金を支払うときになり、その主人は管理人に命じて、まず5時から雇われた人に1デナリオンを支払ったというのです。
ですから、朝早くから雇われた人は、もっともらえるだろうと思っていたら、やはり1デナリオンしかもらえなかったのです。
当時の1日の労働は、夜明けから日没までだから、大体12時間位でした。
その人が夕方たったの1時間位しか働かなかった人と同じ賃金しかもらえなかった、というのであるから、この人は主人に文句を言いました。
全く不公平だ、と思うのは当たり前です。

しかし、ここで、夕方5時に雇われた人のことを考えてみましょう。
この人たちは、怠けていたのではありません。
彼らは「だれも雇ってくれませんでした」と言っています。
朝早くから市場に立って、雇われたいと思っているのに、そして回りはどんどん雇われていくのに、雇われなかったのです。
この人たちは、ひょっとすると、高齢であるとか、身体に不自由なところがあったのかも知れません。
あるいは要領が悪くて、いつも他の人に遅れを取っていたのかも知れません。

しかしその人たちも食べていかなければならないのです。
働くことができなかったら、その日の食糧を買うことも出来ません。家では、家族の者がおなかをすかせて待っているかも知れません。
この主人は、「この最後の者にもあなたと同ように払ってやりたいのだ」と言っています。
ここに、この主人(実は神であるが)の気持ちが表されています。

神は私達を皆同ように扱いたいのです。
朝早くから夕方まで働くことの出来た人は、健康で、忍耐力があり、優秀な人です。
しかし、働きたくても、体が丈夫でなかったり、障害があったりして、あるいは、運もわるくて、働くことの出来ない人もいます。
この人たちは、実は働くために、朝早くから市場に来て、雇われるのを待っていたのです。
しかし、だれも雇ってくれなかったのです。
いわば落ちこぼれです。
そして、この主人によってやっと雇われたのです。

しかし、早くから働いた人は、この1時しか働かなかった人のことを理解せずに、自分と同じ扱いをした、と言って怒っているのです。
人間は、自分が他よりも優秀だと思っている時、他の人と同じ扱いをされたくないのです。
何かで差をつけてもらいたいのです。

しかし神はどんな人も同ように扱いたい、というのです。
差別というのは、自分が他の人と何かで差をつけてもらいたい、という思いから来るのです

しかし、神はそのような差をつけることを欲してはいないのです。
逆にみんなを同じに扱いたいと思っているのです。

 

  2015-06-16 情報モラルについて考えました。

 6月15日(月)情報モラルについて考えました。

携帯電話やインターネットを使ったトラブルや犯罪が悪質化・巧妙化し、中高生がその被害に巻き込まれるケースが増えています。そこで、総合的な学習の時間を使用して、実態を把握し、生徒が主体となって考察・発表を行いました。

 


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前回のアンケート結果から生徒間同士で気づき意見交換を行いました。

 

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アンケート結果を聞き、クラスの結果自身の結果を比べました。

 

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まとめ役と書記を決め、グループディスカッションを行いました。

 

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まとめ役がディスカッションの内容をまとめてくれました。

 

情報モラルについて考えたことでネット上の怖さを実感したと思います。
今日学んだことをしっかり頭に入れておきましょう!

 

  2015-06-15 一泊旅行in香川県〔2日目〕

本日は一泊旅行2日目

 

今日は朝から金比羅山へお参りに行きました。
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お昼は中野うどん学校で自分たちの作ったうどんを食べました。
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何事もなく、無事終了して元気に西宮へ帰ってきました。

月曜からも元気に登校しましょう!

 

   修学旅行in北海道〔4日目・5日目〕

修学旅行4日目

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羊ヶ丘展望台
にて、石狩鍋クラーク博士と写真をとり、
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大倉山にてリフトにのって、スキージャンプ台とその景色を見て、
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小樽運河食堂にて、北海道バイキングを満喫しました。
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修学旅行最終日

時折雨が降る中、小樽を散策しました。
小樽運河を眺めたり、オルゴール館ガラス工房に行ったり、
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修学旅行の最終日を思い思いに満喫してくれました!
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多少雨が降るときがありましたが、
予定通りすべての行程を無事に行なうことができました

この5日間の出来事が、大事な思い出になってくれたことを願います。

 

   修学旅行in沖縄[四日目]

三日目のマリンスポーツ体験の写真です。シュノーケリングをしました!
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準備万端!!次はロケットボートに乗ってきま~す!
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ビーチバレーもしてマリンスポーツを楽しみました!
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私達の部屋です
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最終日の四日目は朝から那覇市内の国際通りを自由散策しました!
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お土産をたくさん買って那覇空港をお昼頃出発。
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楽しい四日間でした!!!

 

 

 

 

 

   遠足inUSJ

6月12日(金)に中学一年生桜中学二年生桜高校一年生桜USJに行っていました!
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9:30に入園し、思う存分楽しんでいました♪
もちろん、ハリーポッターにも乗り、進撃の巨人も見ました~!
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いっぱい走り回って、お土産もたっぷり買いました!
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15:00まで楽しめたようです♪クラスの仲も深くなった一日でした
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  2015-06-14 一泊旅行in香川県〔1日目夜〕

一泊旅行1日目の夜

今夜は、バイキングの後、3Dマッピングを楽しみました。
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バイキングの後、みんなきちんと片づけをしました。
中でも率先して片付けをしてくれるクラスを発見!
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萩組
のみんな、どうもありがとう!

その後、日本一長いといわれるエスカレーターで3Dマッピングの会場へ。
幻想的な景色を楽しみました。 

 

  2015-06-12 修学旅行in北海道〔3日目〕

本日は修学旅行3日目

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本日は午前中にサイクリング

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お昼にスープカレーを食べて

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午後からはラフティングを行いました!

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午前中は曇っていて風もあったのですが、

午後からは晴れて、いい気温でラフティングをすることができました!

 

 

 

 

 

  2015-06-11 一泊旅行in香川県[一日目]

一泊二日の旅行が本日からスタートしました。
8:20にバス集合!点呼を行い、いざ出発~♪
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 お昼頃にニューレオマワールドに到着しました。
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 パークに入り、軽快な音楽にのって回転木馬に乗る乗り物メリーゴーランドや木々の間を疾走する乗り物ゴーカートに乗ったりと、楽しんでいました!
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 夕食後もニューレオマワールドで楽しむ予定です。
明日は金毘羅山を参拝し、中野うどん学校へ行きます!
明日の天気も心配ですが、いっぱい楽しんできてください♪
 

 

   修学旅行in沖縄[三日目]

 二日目の夕方に皆でビーチを散歩し、夜は花火をして楽しんだそうです。
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そして三日目は、、本日も快晴!今朝の沖縄~♪
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海洋博記念公園に行き、美ら海水族館堪能しました!

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生徒たちはオキちゃん劇場でイルカのジャンプに感動したそうです。
今はマリンスポーツ体験を行っています。

 

明日は那覇市内の国際通りを自由散策後、夕方頃に伊丹空港に着く予定です。最終日も元気に沖縄を満喫してください♪

 

  2015-06-10 修学旅行in北海道〔一日目・二日目〕

6月9日(火)から高校3年生普通科修学旅行に出発しています!
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1日目は旭山動物園に行きました!!
お昼ご飯、晩ご飯も楽しく食べたようです。
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天候にも恵まれた二日目は、、、
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新富良野プリンスホテルでパークゴルフ体験をし、
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各自で選択したコースの体験を行いました☆
明日も元気に楽しく過ごしてください!!

 

   修学旅行in沖縄[二日目]

今日も全員元気いっぱい!
朝から首里城公園に向けて出発~
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世界文化遺産見学を行いました。
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首里城公園を後にして、沖縄文化体験に向かいます。お昼ご飯は自分たちで作った 炊き込ご飯、ゴーヤーチャンプルー、アーサ汁、サーターアンダギー等を食べました。
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沖縄料理を作って食べて、皆で琉球舞踊カチャーシーエイサー体験をしました。
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二日目も元気に楽しんでいるそうです。明日は最後のイベントである美ら海水族館マリンスポーツの体験があります。三日目もめいっぱい楽しんでもらいたいです!

 

  2015-06-09 修学旅行in沖縄[一日目]

三泊四日の修学旅行が本日からスタートしました。


伊丹空港に8:30に集合。全員揃って空港を出発!いってきま~す♪

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無事那覇空港に到着。
バスにてひめゆり平和記念資料館へ向かい
平和学習を行いました。
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天気は快晴の32℃でとっても暑かったそうです。二日目は楽器や料理等を体験することが多い日にちです。暑さに気をつけて楽しんで下さい!

 

   兵庫県高等学校総合体育大会

先週の土曜日・日曜日に試合がありました。

 

柔道部
団体 優勝
48kg級、52kg級、57kg級、63kg級 優勝
70kg級 優勝、第3位

柔道2 柔道1

 

バドミントン部
団体 第2位、ダブルス 第2位、シングルス 第5位
ダブルスはインターハイへ行かれます。
バド団体 バドダブルス 
バドシングル

 

ハンドボール部
準優勝

 

空手道部
団体組手・形、個人形 優勝、
準優勝
個人組手       優勝、準優勝、第3位、第3位
空手1 空手2

 

バレーボール部
第5位

 

アーチェリー部
団体 第6位

アーチェリー2 アーチェリー1

 

 

試合お疲れ様でした。近畿大会、インターハイがある競技は次にも向けて頑張って下さい。

 

 

  2015-06-05 全校礼拝

全校礼拝が行われました。

毎週水曜日は朝に全校礼拝が行われます。
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5月20日、6月3日は以下のようなお話をしていただきました。

5月20日(水)
聖書    ルカによる福音書15:8-10
メッセージ          「かけがえのないもの」
          樋口 進 牧師

今日読んだ話は、「無くした銀貨」のたとえで、イエス様が話したたとえ話です。

ある女の人が銀貨10枚もっていて、その1枚を無くしたところ、それが見つかるまで家中をひっくり返して、一生懸命捜した、という話です。
これは当たり前のように思われます。私たちだって、お金を無くした場合には一生懸命捜すでしょう。
しかし、ここでこの女の人の態度が不思議に思えるのは、無くした銀貨が見つかった時の態度です。
見つかった時に、友達や近所の人を集めて、「一緒に喜んで下さい」と言った、と言うのです。

私たちもお金を無くした時に、それを一生懸命捜しはしますが、それが見つかった時に、友達や近所の人たちを集めてこういうことをするでしょうか。

莫大なお金を無くして、それが戻ってきた場合には、するかも知れません。
しかし、この時代の銀貨というのは、そんなに高価なものではありません。
ギリシアのドラクメ銀貨というもので、労働者の一日の賃金に相当する位であると言われています。当時の低賃金から考えて、仮に千円、あるいは2千円とします。
そのくらいのお金が一生懸命捜して見つかった時に、近所の人や友人を呼んで、この当時の習慣として、そういう場合は必ず大判ふるまいをするのです。
費用としては、当然見つかったお金よりもはるかに多くの費用がかかるのです。

この女の人にとって、その無くした1枚の銀貨は、他のものには代えられない、かけがえのないものであったからです。
それぐらいの何か特別の訳があったのです。
「10枚の銀貨をもっていた」とあります。
当時のパレスチナの貧しい娘が結婚する時、10枚の銀貨を鎖に通して、結婚の記念として両親がもたせた、と言われています。
恐らくここでも、この女の人が結婚する時に、その記念として両親からもらった銀貨の10枚だったのでしょう。

さて、この例えでイエス様が言おうとしていることは、
『神様は私たち一人ひとりを他の何ものにも代えることのできないかけがえのないものとされている。』
と言うことです。

親が自分の子を気に入らないから、それをだれかにあげて、もっと気に入る他の人をもらう、と言うことはないでしょう。たとえどんな子であっても、親にとっては子はかけがえのないものです。
それと同じように、神様にとって私たち一人ひとりは、それ以上にかけがえのないものとして下さっている、と言うのが、この例えでイエスが言わんとすることです。しかし、私たちは、神様からそんな大切にされていることに気がついていないかも知れません。
もし、そのことに気付いたら、神様は大喜びをしてくれる、と言うのです。

6月4日(水)
聖書    ルカによる福音書12:16-20
メッセージ          「いのちを考える」
          樋口 進 牧師

今日は、皆さんと共に、“いのち”ということを考えてみたいと思います。
現在私たちは、「生きて」います。
それは、“いのち”が与えられているからです。

しかし、この“いのち”は、いつかは取り去られるものです。
人間は、すべて死すべき存在です。これは誰も避けることのできない厳粛な事実です。
この点に関しては、人間はすべて平等だと思います。
どんなに財産があっても、どんなに知恵があっても、どんなに権力があっても、死を免れることのできる人はいません。

昔、秦の始皇帝は、自分の権力と財力でもって何とか自分の命を延ばそうとして、部下に不老不死の薬を全世界に探しに行かせたということですが、それは叶いませんでした。
死はすべての人に平等に訪れます。
そしてその時は、誰にも分からないのです。
弱々しそうな人が意外に長生きすることもありますし、元気はつらつとしていた人があるとき突然死ぬこともあります。

いつ命が奪われるかは分かりませんが、分かっていることは、私たちはいつかは“いのち”が取り去られる日がある、ということです。
この“いのち”は、私たちにはどうすることもできないものなのです。
私たちは、神によってこの“いのち”を与えられて、ある期間この世に生きますが、しかしいつかはこの“いのち”は神によって取り去られるのです。
それ故私たちは、この“いのち”に関しては、厳粛にならざるを得ません。

そして重要なことは、この“いのち”を与えて下さった神との関係に生きる、ということではないでしょうか。
“いのち”の主は私たちではなく、神である、ということです。

先ほどお読みしましたルカによる福音書に於いて、イエスは「愚かな金持ちのたとえ」をされました。
この金持ちは、自分の畑に沢山の作物ができたので、これを大きな倉に入れて、この後何年も生きていくことができる、と思ったのです。
その時神は、20節のように言われました。

「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか」

この金持ちの農園主は、“いのち”の主は自分であると考えていたのです。多くの財産をもったので、いくらでも生きられると思ったのです。
しかし、“いのち”の主は、人間ではなく、神なのです。私たちの“いのち”は、この“いのち”の主である神によって与えられたのです。
そして、“いのち”の主は、また私たちから“いのち”を取り去ることもできるのです。

ここで“いのち”と訳されている語は、ギリシア語ではプシュケーと言います。
これはまた「魂」とも訳されます。
これは単に動物的に生きるという意味での生命ではありません。
もちろんそれも含みますが、その根本は、神との関係における本来の人間の“いのち”です。

この農園主は、沢山の食料を蓄えて、ただ動物的に生きることだけしか見えなかったのです。
そこには、その“いのち”が神から与えられたものという意識は全くありません。
私たちの“いのち”が、神から与えられたものと認識するならば、その“いのち”を与えて下さった神との関係に生きることが大切です。
神との関係に生きるということは、他の人との関係に生きるということでもあります。

“いのち”が神から与えられたものだと意識するなら、自分の“いのち”だけでなく、他の人の“いのち”も大切にします。
私たちは、一番大切な“いのち”を神から与えられているということを認識して生きたいと思います。 

 

  2015-06-01 進路ガイダンス

高校3年生を対象に進路ガイダンスが行われました。
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高校3年生にとって身近な問題の進路。
行きたい学校や将来就きたい職業に関する学校の話を真剣に聞いていました。
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資料やポートフォリオ、スマートフォンやipadを使って
わかりやすく丁寧に説明していただきました。
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就職を考えている生徒のためには、模擬面接も行っていただきました。
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この進路ガイダンスが3年生の進路実現に役立てばと思います。