月間アーカイブ: 2016年5月

  2016-05-30 進路ガイダンス

高校3年生を対象に進路ガイダンスが行われました。

大学・短大・専門学校の48校来て頂き、行きたい学校や将来就きたい職業に関する学校の話を真剣に聞いていました。

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就職を考えている生徒のためには、面接講座も開かれました。

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この進路ガイダンスが3年生の進路実現に役立てばと思います。

 

  2016-05-20 参観ウィーク5日目

参観ウィーク5日目になりました。

本日の授業風景をご紹介いたします。


中学2年生 桜組(歴史)
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中学3年生 桜組(体育)
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高校1年生 菊組(音楽選択)
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高校1年生 萩組(数学A)
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高校2年生 美術科(情報デザイン)
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高校3年生 桜組(地学基礎)
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高校3年生 梅組(家庭総合)
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参観ウィークは本日が最終日でした。
たくさんの保護者の方の御来校、アンケートのご協力ありがとうございました。

 

  2016-05-19 5月18日(水)全校礼拝

5月18日(水)全校礼拝が行われました。

讃美歌 18番(1、2番)
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聖書 ルカによる福音書10章25-37節
メッセージ「隣人とは」
学院宗教主事 樋口 進 牧師

 

今日読んだ聖書は、イエスがされた「よいサマリア人のたとえ」と言われています。
ここに登場する律法の専門家は、イエスに、旧約聖書の中でどの教えが最も大切か、ということを問うたのです。
しかしイエスは、その問いを律法の専門家自身に答えさせています。
そしてその答えは、27節にあるように、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい」ということでした。
これは、大正解でした。当時の法律の試験では、100点満点でした。
しかし、イエスはここで、正解を知っていても、それを実行しなければ何にもならない、ということを問題にされたのです。
「隣人を自分のように愛しなさい」ということを教えるために、この「よいサマリア人のたとえ」をされたのです。
ある人が旅の途中に追いはぎに襲われて半殺しにされ、道に倒れていました。
そこに三人の人が通りかかりました。最初に通りかかったのは祭司でした。
祭司は、神の教えで最も大切なものは何か、ということをよく知っていました。
しかし、強盗に襲われて苦しんでいる人を見たのですが、何も助けずに、道の向こう側と通って行ってしまいました。
何か急ぎの用があったのかもしれませんが、恐らく誰も見ていなかったので助けなかったのでしょう。次に来たのは、レビ人でした。
レビ人というのは、神殿に仕える人で、これも神の教えで最も大切なものをよく知っており、むしろ人々にそれを教えていた人です。
しかし、この人も、倒れている旅人を見ましたが、見ないふりをして通り過ぎて行きました。
この人たちは、恐らく、ややこしいことには関わりたくない、といった気持ちから見て見ぬふりをしたのではないでしょうか。
普段は、苦しんでいる人たちを助けなければならないということをよく知っていたし、そういうことを教えていたのですが。
わたしたちの身近においてもしばしばこのような事件が起こります。
時々新聞なんかで見ますが、誰かが道路に倒れていて、大勢の人が通っているのに誰一人助けようとしない、また誰一人救急車を呼んだり、人に知らせたりしない。
皆、そのうち誰かが知らせてくれるだろうと思って、自分のために急いでいた。
そのような無関心が、都会の真ん中で起こっていた、という報道です。
しかし、わたしたちも、ややこしいことに関わりたくない、という思いはあるのではないでしょうか。特に、関わっても自分に何のメリットもない、と思われる時には。わたしたちは、親切にする相手が自分にとって有利な人であれば親切にするが、そうでないと思われる人に対しては、煩わしいと思うのではないでしょうか。まして、普段憎たらしいと思っている人に対しては、たとえ相手が困っていてもなかなか手をさしのべません。
さて、3番目に通りかかったのは、サマリア人でした。
このサマリア人というのは、当時、倒れているユダヤ人とは犬猿の仲でした。
しばしば敵対関係にありました。
ですから、このサマリア人が倒れているユダヤ人を見て助けたいとは思わず、通り過ぎてもよかったのです。
ところが、このサマリア人は、「その人を見て憐れに思った」とあります。
たとえ、普段は仲が悪くても、半殺しにされて苦しんでいる人を見た場合、「憐れに思う」のは、人間の自然な感情ではないでしょうか。
しかし彼は、それだけではなく、親切に介抱し、また宿屋に連れて行き、デナリオン銀貨2枚を支払った、というのです。
そして、イエスは、律法の専門家に「誰が隣人になったか」と尋ねました。
すると、彼は、「その人を助けた人です」と答えました。
まさに正しい答えであり、この律法の専門家は、聖書の根本的な意味を十分理解していた、ということになります。
しかし、人を愛すると言うことは、論ずるのは易しいですが、行うのは実は非常に難しいのです。
それは、人間は、自分中心だからです。
相手の立場に立って考えるということがなかなかできないからです。
イエスは、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなた方も人にしなさい」ということを言われました。そして、イエス自らこのことを行いました。
「隣人を愛する」というのは、その人と関わると言うことです。
その人に関心を持つと言うことです。
その人を無視しない、ということです。
マザー・テレサは、一番いけないのは、無関心になることだ、と言いました。倒れている人を見た場合、見たということで、その人の隣人となっているのです。そして、関心を持つと言うことは、その人に手をさしのべると言うことです。無関心にするのでなく、無視するのでなく。
そんな大それたことをしなくても、まずは関心を持つと言うことが大切です。大地震で苦しんでいる人の報道をテレビで見たならば、そのときにその人の隣人となっているのです。
だからといって熊本までボランティアに行かなくても、関心を持つ、自分に何ができるか考えること、募金に協力すること、その人のために祈るということでも、小さな「隣人を愛する」行為なのです。
大事なのは、関心を持つこと無視しないことです。

 

  2016-05-18 参観ウィーク3日目

参観ウィーク3日目になりました。

本日の授業風景をご紹介いたします。


中学1年生 桜組(国語)
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高校1年生 蘭組(聖書)
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高校2年生 桜組(数学Ⅱ)
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高校2年生 萩組(国語演習B)
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高校3年生 美術科(絵画)
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高校3年生 体育科(英語演習A)
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残り2日間ありますので是非、お越し下さい。

 

  2016-05-16 総合体育大会 壮行会

本日、6時間目に兵庫県高等学校 総合体育大会 壮行会が行われました。

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学校長と生徒自治会文化部長(佐藤さん)から激励の言葉を頂きました。
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選手代表空手道部(田井さん)から決意とお礼の言葉を聞き、全校生徒で校歌を斉唱しました。
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バレーボール部、テニス部、バドミントン部、体操競技部、ハンドボール部、陸上競技部、水泳部、空手道部、剣道部、アーチェリー部、柔道部の選手たちが壇上に上がりました。

兵庫県高等学校総合体育大会 学校対抗総合得点順位において昨年、48年連続49回目の総合優勝を成し遂げました。この記録を途絶えないよう50回目の優勝を目指して頑張ってほしいです。

 

   中学生 球技大会

本日、5時間目に中学校の球技大会が行われました。

種目は「ポートボール」で、中学1~3年生の混合チームで行いました。
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皆楽しそうで、汗だくになりながら頑張りました!
笑顔溢れる球技大会となりました

 

   参観ウィーク1日目

本日より参観ウィークが始まりました。

本日の授業風景をご紹介いたします。


高校1年生 桜組(国語総合)
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高校1年生 梅組(数学Ⅰ)
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高校2年生 体育科(日本史B)
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高校3年生 桃組(英語演習A)
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高校3年生 萩組(ダンス)
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参観ウィークは5月20日(金)まで行っております。
是非、お越し下さい。

 

  2016-05-14 5月11日(水)全校礼拝

5月11日(水)全校礼拝が行われました。

讃美歌    484 番( 1、2 番)
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聖書    マタイによる福音書25章14-18節
メッセージ 「神の賜物」
学院宗教主事 樋口 進 牧師

同じ事態に直面してもそれをプラスに考える人とマイナスに考える人がいます。そして、プラスに考える方が、より豊かな人生を送れると思います。
先ほどお読みした聖書の箇所は、イエスが話された「タラントンのたとえ」という話の一部です。
タラントンというのは、当時のお金の単位で、最も大きな額でした。
そしてこれは、英語のTalentの語源になっていると言われています。
タレントは日本でもテレビなんかに出る人をタレントと言いますが、能力のある人のことを言います。
そして、このタラントンは、聖書においては、神によって与えられた賜物のことです。そして、この譬えでは、3人の人がそれぞれ5タラントン2タラントン1タラントンを預けられた、と言われていますが、私たちの能力は神によって預けられたものだ、と言うのが聖書の理解です。
ですからそれを、神のために用いるという課題が私たちには与えられているのです。そして、5タラントン、2タラントン、1タラントンというのは、与えられた能力には差があるというのでなく、それぞれにはそれぞれ違った能力が与えられている、と言うことではないかと思います。
それを能力の差と捉えるならば、多く与えられていると思う人は優越感を抱き傲慢になります。
また、少ししか与えられていないと思う人は、劣等感に陥り、せっかく与えられたタレントを見失ってしまいます。
それが、今日の譬えの1タラントンを預けられた人です。
1タラントンを預けられた人は、他の二人と比較して、自分には余りタレントが与えられていないと思い、それを活用せずに隠してしまった、と言うのです。
しかし、1タラントンというのは、実は莫大なものなのです。
1タラントンというのは、6000デナリオンに相当します。
1デナリオンは、1日の賃金に相当する額ですから、6000デナリオンというのは、6000日分の賃金になります。
すなわち1タラントンというのは16年分の賃金ですから、相当が額です。
これは、どんなに小さく見えるような能力でも、神からそれぞれに与えられているタラントは莫大なものである、ということが言われていると思います。
他の人と比較をするところからは、そのような積極的な行動は出てきません。そうではなく、神から自分に与えられている恵みに目を向けるのです。
ある場合は、これが恵みかと思われることもあるでしょう。
三浦綾子さんは、病気をも神から与えられた賜物と捉えました。
彼女の随筆は『この病をも賜物として』と言うのがあります。
病気などというものは、私たちは全くのマイナスのものだと思わないでしょうか。賜物だとは思わないでしょう。
病気などというものは、もう土の中に隠してしまいたいものです。
しかし、三浦綾子さんはそれをも神から与えられた賜物として受け取ったのです。これを書いた時、三浦さんは実にいろいろな病気に冒されていました。
癌もありましたし、パーキンソン病もありましたし、痛みを伴うものもあり、実に苦しかったのです。
ですから、自分で書くことが出来ず、自分は口述して、夫の光世さんが書いていたのです。
それも休み休みです。病気になるのはとても辛いことです。
しかし、病気になることによって、病気の人の苦しみや悩みが分かります。
三浦綾子さんは、そのような気持ちから、病気で苦しむ人を慰め、励ます文を書くことが出来ました。
そして、三浦さんの文章によって、励まされた人が大勢います。
私たちもそれぞれ、神から多くのタレントを与えられていると思います。
そしてそれは、それぞれに違うタレントが与えられているのです。
隠してしまわなければならないタレントはないのです。
たった3本の指にしても、三浦綾子さんのように病でさえも、神から与えられた賜物だと捉えるならば、それを土の中に隠してしまうのでなく、活用して、豊かな実りをもたらすことができるのです。
私たちに果たしてどのようなタラントが与えられているかを考えることも私たちの課題でしょうし、それを用いて、神のために、人のためにどのように用いていくかも私たちの課題だと思います。

 

   参観ウィークのお知らせ

参観ウィークのお知らせ

今年度も参観ウィークを開催いたします。

*日時*
5月16日(月)~5月20日(金)

*お願い*
公共交通機関を使ってご来校ください(校内に駐車場はごさいません)。
上履きをご持参ください。

 

 

  2016-05-10 育友会代議員会・総会・学級懇談会・中3修学旅行保護者説明会開催のご案内

今週末の14日(土)育友会代議員会総会学級懇談会中3修学旅行保護者説明会を開催いたします。詳細は以下の通りです。

 


第一回育友会保護者代議員会

日時:2016年5月14日(土) 10:00~11:00
場所:夙川学院中学高等学校チャペル教室 1号館1階
代議員会資料は当日受付にてお渡しいたします。


育友会総会

日時:2016年5月14日(土) 13:00~14:00
場所:夙川学院中学高等学校チャペル教室 1号館1階
総会資料は13日に生徒にお渡ししますので当日(14日)に必ずご持参ください。

 

学級懇談会
日時:2016年5月14日(土) 14:00~
場所:各クラスルーム

 

中3修学旅行保護者説明会
日時:2016年5月14日(土) 14:30~
場所:選択教室B

 

ご多忙のところ誠に恐縮に存じますが、万章お繰り合わせのうえ、ご出席賜りますようご案内申し上げます。
当日は上靴・靴袋を必ずご持参下さい。自動車でのご来校は固くお断りいたします。

 

  2016-05-09 母の日礼拝

母の日礼拝が行われました。
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樋口 進 牧師のメッセージ  「感謝の心」はこちらをクリック


アリーナにて礼拝を行い、学年ごとに選ばれた代表者は母の日作文を朗読しました。

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また、各教室で母の日プレゼント企画として食器用洗剤のチャーミー マジカを生徒一人につきそれぞれ一本ずつ渡されました。メッセージシールを書き、ラッピングバックに詰めて持ち帰っていただきました。生徒さんからご家族へ感謝の気持ちが伝われば、と思います。
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マタイによる福音書15章1-6節    「感謝の心」

 

昨日は「母の日」でした。
皆さんは、お母さんに何かプレゼントしましたか?
カーネーションを贈った人もいるかも知れません。
あるいは、物でなく、何かサービスした人もいるかも知れません。
例えば、肩たたきとか。
あるいは、感謝の気持ちを表わしたカードを送った人もいるかも知れません。
わたしの所にも、東京にいる娘から妻にきれいなエプロンとパジャマが送られてきました。
感謝のメッセージも添えられ、妻はとても喜んでいました。
「母の日」にお母さんの愛に感謝の気持ちを表わすことは、いい習慣だと思います。
ところで、この「母の日」はいつ始まったかご存じですか?
そして、「母の日」には、カーネーションが定番ですが、なぜカーネーションを贈るかご存じですか?
「母の日」がなぜ、5月の第二日曜日かご存じですか?
「母の日」は、今から108年前の1908年に、アメリカ・マサチューセッツ州のウェブスターという町のメソジスト教会で始まりました。
日曜学校の教師を26年間も勤めたクララ・ジャーヴィスという女性は、ある日「あなたの父母を敬え」という旧約聖書の「十戒」の教えについて語り、特に母の愛に心から感謝する方法があればよいと訴えました。
その後この女性は亡くなったのですが、この話を娘のアンナという人は、ずっと心に留めていました。
そしてアンナは、母親の追悼会の時に、1箱のカーネーションを持って来て、会場に飾りました。
これが、彼女の母の愛に感謝する方法だったのです。
列席者は大きな感銘を受け、今後こういう会を毎年開くことを申し合わせました。
やがてこれを知った有名な百貨店の社長のジョン・ワナメーカーという人が、5月の第2日曜日に自分の店で盛大な「母の日記念会」を催しました。
この日の模様を新聞などが広く報道したため、各地に広がり、
日本では1923年(大正12年)に最初の「母の日」が祝われたと言われています。
そして今や、世界中どこででもこの「母の日」は祝われています。
もっとも、国によって「母の日」が行われる日にちは違っていますが。
そして今やこれは、一種の年中行事と化しており、特に日本では、これを機会にいろいろな品物を売ることに利用されていますが、この精神というものを本当に考えなければならないと思います。
「母の日」という特定の日が定められたのは、20世紀に入ってからですが、「両親を大切にする」という習慣は、世界中どこででも、また古い時代からありました。
例えば、古代ギリシアにおいては、偉大な立法家ソロンという人が次のように書いています。
その両親が年老い、支持を必要としている時に、両親を支えないならば、彼は市民としての権利を喪失する。
ギリシア人は、両親を尊敬することは、国家のすべての市民の基本的な義務の一つであると考えていました。
日本においても、特に儒教の教えから、親への孝行ということが重んじられてきました。
古代イスラエルにおいても、その最も古い法律である十戒の5番目の教えに「あなたの父と母を敬え」と言われています。
これは旧約聖書の出エジプト記20章に言われています。
古代イスラエルの人たちも、この戒めを守って、自分たちの両親を敬うことが重んじられていました。
しかしこういう習わしもその精神が失われて、しばしば形式的になります。
こういうことは、法律を定めたり、「母の日」というのを制定したり、「敬老の日」という祝日を作ればそれで済むというものではありません。
問題は、そういう形ではなく、心です。
古代イスラエルにおいても、イエス・キリストの時代「父と母とを敬え」という十戒の教えが、当時のユダヤの社会において形式的になっていたということが言われています。
先ほど読んだマタイによる福音書の15章にそのことが言われています。
当時のユダヤ人の社会でユダヤ教の指導者たちは、昔からの教えによく通じていた人たちです。
しかし彼らは、法律や習慣の余りにも細かなことに目を向けていたので、戒めの本質的なこと、根本精神を見失っていました。
「木を見て森を見ず」という諺がありますが、当時のユダヤ教の指導者たちはまさにそうでした。
イエスはしばしば、このようなユダヤ教の指導者たちとぶつかりました。
ある時、ユダヤ教の指導者たちが、イエスの所に来て、「あなたの弟子たちは、なぜ昔の人々の言い伝えを破るのですか。彼らは食事の時に手を洗っていません」と言いました。
ユダヤ人は、食事を非常に大切にしました。
これは、単に食欲を満たすというよりも、一つの宗教的な行為でした。
その一つに人が食べてよい食物と食べてはならない食物が規定されていました。
この規定は、コーシェルと言って、今でも熱心なユダヤ教徒の間では厳格に守られています。
イスラム教の人たちのも同じような食事の規定があります。
例えば、豚肉は、ユダヤ教の人もイスラム教の人も食べてはいけないのです。
最近、特にインドネシアなどからイスラム教の人たちが日本に旅行に来ます。
その時に、ホテルなどで食事に困るということがあります。
それは、イスラム教で食べることを禁じられている食物を出すことができないからです。
そして、イスラム教で食べてもいい物をハラールと言いますが、最近ではハラールの認証を受けた食べ物を出すホテルが増えています。
大学でもインドネシアやサウジアラビアなどのイスラム圏から大勢の留学生が来ている所では、食堂でハラール認証の食事を用意している所も増えてきています。
とにかく、イエスの時代にもこのような食事の細かい規定があり、特に宗教指導者は、そのようなことに目を光らせていたのです。
さらに、食事の作法についても、いろいろ細かい規定がありました。
これは、最初はごく簡単なものでしたが、時代と共に非常に複雑なものとなっていきました。
そしてイエスの時代には、実に細々した規定があり、一般の庶民にはそれらを完全に守ることは不可能でした。
その一つに、手を洗うというものがあります。
食事の前に手を洗うのは当たり前ではないか、と思われるかも知れません。
しかし、この当時の手洗いは非常に複雑でした。
例えば、かける水の量が決められていたり、かける順番があったり、かける方法があったり、といったものです。
水をまず両手にかけ、次に指先を上に向けて指先から水をかけ、次に指先を下にしてかける、といったようなことです。
そして、厳格なユダヤ人は、これを食事の前にするだけでなく、食事の間も料理が変わる毎に行っていたというのです。
ですから、ユダヤ教の指導者たちといった特別これらの規定に通じた人以外は、厳密に守ることは不可能でした。
そしてこういう日常生活における細かな規定は、他にも非常に沢山あったのです。
そして、ユダヤ教の指導者たちは、これらの規定をよく知っており、それらを一つひとつ忠実に守っていたということで、非常に誇りがありました。
それと同時に、このような規定を守らない者を、軽蔑したのでした。
さてユダヤ教の指導者たちは、イエスの弟子たちがこのような細かな規定を守らないと言って、イエスを非難しに来たのでした。
しかしイエスは、これに対しては直接には答えていません。
ユダヤ教の指導者たちは、律法の非常に細かなことを重要にしていましたが、律法の本質を見失っているのだ、ということを指摘しました。
律法学者やファリサイ派の人たちにとって、宗教は、食前に正しい方法で手を洗うといった、一定の外面的な規則、規定、儀式を守ることでした。
一方イエスにとって、宗教とは、心の中にあるもの、そこから出される憐れみと親切、愛ということでした。
そこでイエスは、最も大いなる戒め、誰でもよく知っている戒めを引き合いに出します。
すなわち、十戒の5番目の教えの「あなたの父と母とを敬え」というものです。
これは十戒でも最も重要な戒めであるので、ユダヤ教の指導者たちに向かってことさら言うものではありません。
しかしイエスは、彼らがこの戒めを本当の意味で守っていなかったことを指摘したかったのです。
このように言いました。
それなのに、あなたたちは言っている。『父または母に向かって、「あなたに差し上げるべきものは、神への供え物にする」と言う者は、父を敬わなくてもよい』と。こうして、あなたたちは、自分の言い伝えのために神の言葉を無にしている。
「供え物」は、コルバンという語ですが、これは、神に捧げられたもの、聖別されたもの、というものです。
例えば、ある人の父か母が貧しく、年を取って金に困り、息子の所に助けを求めに来た場合、その人が両親への援助を断る道があったのです。
それは、金や財産をすべて神殿に「供え物」にすることでした。
するとそれがコルバン、すなわち神に捧げられ、神のために聖別されたものとなり、両親には、「大変お気の毒ですが、何もあげられません。わたしの持物は全部、神のものになっています」ということができたのです。
そしてユダヤ教の指導者たちは、親に援助するよりは、神殿に捧げる方が価値があると奨励していたようです。
親を助けるよりも、自分の名誉心のためにお金を用いたのです。
こう言う心をイエスは非難されたのです。
イエスは、形式や外面的なことではなく、内面的なこと、心を大切にされました。
贈り物をするというとき、その品物よりもその気持ち、心が大切です。
たとえ安物であって、心がこもっていれば、うれしいものです。
わたしは、娘が幼稚園のときに父の日に造ってくれた粘土の鉛筆立てを今でも遣っています。
その娘は、もう結婚もして、子どももいますが、先日久しぶりに
家に里帰りしたときに、その鉛筆立てを見て、「まだこんなもの使っているの?」とびっくりしていましたが、わたしにとっては、娘が小さいときに心を込めて造ってくれた鉛筆立ては、今でも宝物です。
皆さんは、アメリカの作家オー・ヘンリーの短編小説「賢者の贈り物」というのをご存じでしょうか。
ある貧しい夫婦がいました。
それぞれクリスマスプレゼントに何を贈るかを考えました。
夫は、妻が美しい金髪の髪を持っていたので、それをとく櫛を贈りたいと思いましたが、お金がなかったので、自分の一番大切にしていた懐中時計を売って、その櫛を買いました。
一方妻は、夫は、懐中時計は持っているもののそれにつける鎖がなかったのでそれをプレゼントしたいと思いました。
しかし、お金がないので、自慢の金髪を売って、それで鎖を買いました。
そして、クリスマスの日、お互いプレゼントを交換しました。
妻は立派な櫛をプレゼントされましたが、肝心の金髪がなく、役に立ちません。
夫は、時計につける鎖をプレゼントされましたが、肝心の懐中時計がありません。
2人はがっかりしたかと言うとそうではなく、お互いの気持ちを思って喜んだ、と言うことです。
心をこめてプレゼントすれば、たとえ今役に立たないものであっても、嬉しいものです。
親を敬うということも、ややもすれば形式的になってしまいます。
イエスの教えたのは、そういう宗教の形式的な儀式や細かい規定を守るということではなく、神に接し、人に接する真心であり、愛でした。
そしてそれは、律法の根本精神でした。
何故「母を敬わなければならないのか」というのは、「・・・だから」という理由があって敬うというのでなく、そうすることが自然なのです。
母親が子供を愛するのは、理由がありません。
自分の子であるから愛するのです。
母は子どものことをいつも心配しています。
母がわが子を心配する時は、どんな時でしょうか。
わが子が病気になったり、怪我をした時、最も心配するでしょう。
あるいは、わが子が人にいじめられたり、また人とうまくいかずに孤独になったり、落ち込んだりした時もほんとうに心配するでしょう。
また、わが子が何か悪いことをした時、罪を犯した時なども、ほんとうに心配するでしょう。
この場合は、何とかして、その悪い道から離れるようにとお願いしたり、説得したり、また神に祈ったりするでしょう。
よく新聞で少年が例えば人を殺したとか、自分がいじめたために
相手が自殺したとか、盗みを働いたとかいう記事が載ります。
そういう時、私はいつも、その人の親はどんな気持ちであろうかと思います。
恐らく夜も寝られないでありましょう。
さっき歌った讃美歌で「主われを愛す」とありましたが、その主を母に変えて歌うと、母の愛が分かるでしょう。
そのようなその愛に答えて、子が母を敬うのは、自然な事です。
十戒には、「子供を愛せよ」という戒めはありません。
これは、そのような戒めを作らなくても、自然なこととして皆自分の子供は愛するからです。
最も、最近では自分の子どもに虐待して死なせてしまう親もいますが。
そういうニュースを聞くと、ほんとうに信じられない思いです。
しかし、「あなたの父母を敬え」とわざわざ法律に規定されているのは、そうでない現実が多くあったからでしょう。
否、歴史において、特に母がないがしろにされた時が多くあったのです。
旧約聖書にも、そのようなことが記されています。
社会が混乱した時、親を大切にするというよりも、皆自分のことに必死であった時代です。
この混乱期に、母親は、ことさらないがしろにされたのです。
いつでも変わらないのが母の愛です。
マタイによる福音書7章9-11節に次のようにあります
あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。
今は「母の日」は広く普及して、どこを歩いていても「母の日、お母さんありがとう」という文字が見えます。
しかし、それが形式的に終わらずに、最初に言った人アンナという人が自分の母親に心から感謝する気持ちで、母の好きであったカーネーションを会場いっぱいに飾った母に対する心を大切にしたいと思います。

 

  2016-05-06 保護者説明会開催のご案内

本校のポートアイランドキャンパスへの移転に関連して、前回説明会から後の状況につきまして、下記の要領で明日、説明会を開催させていただきます。

日程:2016年5月7日(土)10時より

場所:ポートアイランドキャンパス チャペル教室

お忙しいところご足労をおかけすることになり大変恐縮ではございますが、是非ともご出席賜りますよう何卒よろしくお願い申し上げます。