6月22日(水)全校礼拝 | 夙川学院中学校・高等学校

2016-06-24 6月22日(水)全校礼拝

6月22日(水)全校礼拝が実施されました。

讃美歌 60番 (1、2番)
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聖書:コリントの信徒への手紙Ⅰ 12章12節~26節  
題名:「違いを大切に」  
夙川学院宗教主事 樋口 進 牧師

私たちは自分たちとは違った者に対して偏見を持つと言うことはないでしょうか。例えば、外国人に対してとか。今、ヨーロッパでは、シリアからの難民が大勢移動しています。これに対して、ドイツは難民を喜んで受け入れていますが、他の国ではそうではなく、むしろ排除しています。一方では、違いを排除する、一方では違いを受け入れるという態度です。今のイギリスでEUから離脱するか、残留するかで、国民投票をするということで話題になっていますが、それも移民の問題が大きいといわれています。
 さて、人間はいろんな違いがあります。そのとき大切なのは、そういう違いのある人々をよく理解し、そして尊重しなければならないということです。いろいろな国々や、いろいろな人種や、いろいろな宗教には、それぞれ違いがあります。人間、違いがある時には、違和感を覚えるのではないでしょうか。ある場合は、理解できない、ということが起こるのではないでしょうか。違和感を覚え、そして理解できない、ということになると、それを排除しようとするのではないでしょうか。そういう所から、民族間の紛争が起こったり、国と国との戦争が起こったり、それが極端になれば、ジェノサイド(大量殺りく)ということも起こります。その極端な例は、第二次世界大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺でしょう。アンティ・セミティズムといって、ユダヤ民族は優秀なゲルマン民族とは違うのだ、と言って排除したのです。それで、600万人ものユダヤ人を虐殺していったのです。これは、極端な例ですが、しかし人間、違う人間に対しては、それを排除しようとする傾向があります。違いを理解し、それを尊重するということは、難しいことかも知れません。しかし、今のドイツは、過去の民族差別の反省から、差別のない世界になっているという印象を受けます。わたしは、6年ほど前に、ドイツで1年間在外研究をしました。ハイデルベルクという中世のお城で有名な所で、人気の観光地でもあります。ドイツでは、多くの人は、ナチスの時代の排外主義の反省から、外国人に対しては非常に寛容である、と言う印象を受けました。わたしのようなアジア人に対しても、何ら偏見なく接してくれました。
 先ほど、読んだのは、コリントの信徒への手紙で、これはパウロという人が、ギリシャのコリントという町の教会に送った手紙です。リントという町は、港町で、当時はいろんな人が出入りする国際的な町でした。そこで、コリントの教会に集まっていた人もいろんな人がいたようです。そして、この手紙から察する所、違った人には、違和感を持ったり、偏見を持ったり、排除しようとすることもあったようです。そういう人に対して、パウロは体の部分という比喩でもって、お互い理解し合い、また尊重し合うように勧めています。人間の体は、実にいろいろな部分からなっています。一つ一つはそれぞれ違いがあります。しかし、それらが合わさって、一つの調和の取れた体となる訳です。そしてそれらは、違いはありますが、不必要な物はないのです。また、優劣もないと思います。優劣となると、それは排除の論理になります。ここで、パウロは、「目が手に向かって、『お前は要らない』とはいえず、また頭が足に向かって『お前は要らない』とも言えません。」と言っています。違いにのみ目を向けると、また優劣ということになると、『お前は要らない』ということになります。かつてのナチス・ドイツは、そういう論理で「ユダヤ人はいらない」として虐殺したのです。また、かつての日本も、大和民族は優秀だということで、東南アジアに侵略した歴史があります。さらにパウロは、22節で、「それどころか、体の中で他よりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。」と言っています。これは、優劣の考え、排除の論理とは逆です。さらにパウロは、26節で、「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。」と言っています。このような精神が、「違いを大切にする」という精神が大切ではないでしょうか。スマップの「世界に一つだけの花」は、店先に並んだ花はみんな違うけれども、みな素晴らしいんだ、という趣旨で、このパウロの「違いを大切にする」の精神とよく似ていると思います。

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