月間アーカイブ: 2016年7月

  2016-07-19 平成28年度 1学期終業式

7月19日(火)本学院アリーナにて1学期終業式が行われました。

CIMG6544 CIMG6545

2学期の始業式は9月1日(木)です。
体調管理に気をつけ、夏休みを楽しんでください!

 

  2016-07-15 壮行会・生徒指導講演会

7月15日(金)壮行会・生徒指導講演会が行われました。

 

<壮行会>

CIMG6496

学校長から激励の言葉を頂き、選手代表の体操競技部主将(伊藤さん)から決意とお礼の言葉を聞いた後、全校生徒で校歌を斉唱しました。
CIMG6498 CIMG6513
体操競技部、陸上部、ハンドボール部、空手道部、柔道部、水泳部、バレーボール部、バドミントン部の選手たちが壇上に上がりました。
総体や選手権大会では良い結果が出るようにがんばってください!

 

 

<生徒指導講演会>

CIMG6523

生徒指導講演会では、インターネット利用に伴うトラブルなどの事例とその予防対策についてパワーポイントとビデオを使って紹介して頂きました。

CIMG6529 CIMG6532

私たちが毎日使う携帯電話のトラブルであり、ネット上の怖さを再確認できたと思います。
今日学んだことをしっかり頭に入れてトラブルに巻き込まれないようにしておきましょう。

 

   7月13日(水) 全校礼拝

7月13日(水)全校礼拝が行われました。

CIMG5677

讃美歌:493番     

聖書:マタイによる福音書7章7-12節   

題名:「求めなさい」

 

私たちにとって、探求心というのは、非常に大事だと思います。

 今お読みしましたマタイによる福音書7章7節には、求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。とありました。この聖句は、夙川学院の1階の廊下に習字の掛け軸にありますので、是非ご覧になって下さい。これは非常によく知られている言葉ではないでしょうか。キリスト教を知らない人でも、この言葉を知っている、と言う人も多いのではないでしょうか。これは、一生懸命探求すれば必ず与えられるというふうに解釈されて、多くの人の心に留められているのではないでしょうか。
 ここでイエスは、単なる処世訓を言っているのでありませんが、しかし私たちが神に一生懸命求めるならば、神は必ずそれを与えて下さる、ということを言っているのです。皆さんは、勉強やスポーツにおいて、大いに探究心をもって頂きたいと思います。
 それでは、私たちはどんなことを求めても神は与えて下さるのでしょうか。例えば、自分の嫌いな人が不幸になることを求めても、神はそれに答えてくれるのでしょうか。恐らくそんな自己中心的な求めには答えてくれないでしょう。「求める」という場合、自分のことだけを求めるなら、それは自己中心的になり、他の人を苦しめるという結果になりかねません。そこで、イエスは、相手の立場に立って考えるべきだとして、12節に於いて、次のように言われました。
  だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。宮沢賢治は、「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」と言いました。自分の幸福が他の人を不幸にしているということがよくあります。戦争なんかはそうでしょう。こちらが勝利すれば、相手は不幸になっている訳です。自分が何かを求める時、他の人も同じ求めをもっている、と言うことです。イエスが教えた「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」という言葉は、一般に「黄金律」(Golden Rule)と言われています。その名の通り、最も高い人間の倫理でしょう。もしすべての人がこれをすることが出来れば、世の中は幸福になると思います。これと同じような教えは他の宗教にもあります。例えば、孔子は論語の中で、「己の欲せざるところは、人に施すなかれ」と教えました。これは、儒教の教えとして、日本人にも深く浸透しているのではないでしょうか。親が子によく言うことは、「とにかく、人に迷惑をかけないように」と言うことではないでしょうか。ユダヤ教のタルムードに於いてもこの論語の言葉とよく似たものがあります。「あなたの望まぬことを、あなたの隣人に対してしてはならない。これが法のすべてである」という言葉です。いずれも、自分にとって厭なことを他人にしてはならない、という教えです。これは重要なことであり、人間が社会生活を営んでいく時には守らねばならない基本的なことでしょう。
 しかし、イエスの教えた黄金律は、これと少し違います。すなわち、自分にとって厭なことを他人にするなというのは、少し消極的な態度です。他人に迷惑にならないように、当たり障りのない生き方をする、ということになります。これに対してイエスの「人にしてもらいたいことは、人にもしなさい」というのは積極的な態度です。しかし、それは中々困難なことです。イエスの姿勢は、人に求める前に、自らがその人になしていく、というものです。もし、人に信用されたいと思うなら、自分がまずその人を信用することです。相手を心の底から信用していないのに、どうして相手から信用されるでしょうか。もし、友達に愛されたいと思うなら、まず自分が本当にその友達を愛していくことです。人に尊重されたいと思うなら、自分がまずその人を尊重することです。イエスはまさにこれを行われたのです。しかし、私たちには、中々そのことは難しいのです。どうしても、自分中心的な求めになりがちです。
 そこで7節にかえって、「求めよ」というのは、この黄金律に従うことの出来るようなあり方を求めよ、ということではないでしょうか。私たちのいろんなことを求める探求心は、非常に重要ですが、それが自分だけのものとなるのでなく、他の人のことも考える心を持ちたいと思います。