9月14日(水)  全校礼拝 | 夙川学院中学校・高等学校

2016-09-15 9月14日(水)  全校礼拝

9月14日(水)全校礼拝が行われました。

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讃美歌:471番     

聖書:マタイによる福音書16章21-28節   

題名:「最も大切なもの」

 あるアンケートの調査に、「あなたにとって最も大切なものは何ですか」というのがありました。その答えで一番多かったのは、「健康」と答えた人です。次いで、「毎日を平和に過ごす」というのでした。あるいは、お金と答えた人も多くいたと言うことです。また、命と答えた人もいました。これは、ごく一般的な多くの人の考える幸福です。皆さんだったらなんと答えるでしょうか。健康で、毎日、平和に過ごせたらそれでいい、と考えている人が多いと思います。さらにお金があればなおいいと思うのではないでしょうか。「健康であること」、そして「毎日を平和に過ごす」ことは、それ自体決して間違ったことではないでしょう。
 さて、今日のテクストでは、26節で次のように言われています。
 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。ここでイエスは、全世界を手に入れるよりも、命が大切だ、と言っています。ここで命と訳されているギリシア語は、プシュケー.と言う語ですが、これはまた「魂」とも訳されます。これは単に動物的に生きるという意味での命ではありません。神によって与えられたかけがえのない命です。神の愛のよって与えられたかけがえのないもの、全世界を手に入れるよりも大切なもの、と言えます。「全世界を手に入れる}というのは、所有の極限でしょう。人間は、あれも欲しい、これも欲しい、と思います。そしてその最大のものを全世界で表しているのです。しかしイエスは、「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。」と言われます。人間はあらゆるものを手に入れることができたとしても、命を得ることはできないのです。命は、物によって交換できるものではありません。エーリッヒ・フロムという人の本に『生きるということ』というタイトルの本があります。この原書の題は「持つことかあることか」というものです。すなわち、“to have or to be”というタイトルです。彼は、この本の中で、現代社会においては、人間は「持つ」という在り方になっている、と言います。そして、持つという場合、すべてを物に還元してしまい、生きた関係を損なってしまっている、と言います。それに対して、「ある」ということは、何物にも執着せず、何物にも束縛されず、変化を恐れず、たえず成長する、と言います。それは、一つの固定した型や態度ではなく、流動する過程なのであって、他者との関係においては、与え、分かち合い、関心を共にする生きた関係となる、と言っています。このフロムの主張は、現代の物質文明を批判し、真の人間の在り方を追及しようとしたものです。作家の三浦綾子さんは、生前、結核、脊椎カリエス、心臓発作、帯状疱疹、直腸癌、パーキンソン病などありとあらゆる病気に悩まされた人です。そして、1999年10月に多臓器不全で亡くなりました。彼女は多くの病気に悩まされましたが、健康な人よりももっと生き生きした魂の持主であったように思います。『氷点』という小説を読んだある少女が、主人公と自分の運命を重ね合わせて自殺したことを知った時、今後は人々に生きる希望を与える小説を書こうとした、ということです。そして、事実彼女の小説や随筆を読んで、生きる希望を与えられた人が非常に多くいます。彼女は、あのような病気にかかったので、かえって人に希望を与えるような小説を書けたのかもしれません。『生かされてある日々』という随筆がありますが、病気だったからこそ、生きているのが当たり前ではなくて、神によって生かされているという恵みの思いが強かったのではないでしょうか。彼女は、神から与えられた命(プシュケー)を最も大切にしたように思います。三浦綾子さんは、病弱であったかもしれませんが、魂は健康であったと言うことができるでしょう。私たちには、全世界を手に入れるよりももっと大切なかけがえのない命を神から与えられていることを覚えたいと思います。そしてこの命を有意義に用いていきたいと思います。

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