月間アーカイブ: 2016年11月

  2016-11-28 クリスマス点灯式

本日、正門近くにて18:00からクリスマス点灯式を行いました。

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たくさんの教員、生徒達、短大生等が集まってくれました。
点灯するととても綺麗なので、是非見てください。

 

   高校2、3年生美術科 修学旅行5~7日目

高校2、3年生修学旅行5日目~7日目の様子をお送りします。

 

<5日目>
本日も全員元気です!
5日目の午前中はサンリス町並みを散策しました。とても絵になる町並みだったそうです。
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午後からはシャンティイへ移動後、昼食をとり、シャンティイ城を見学しました。
シャンティイ城には絵画がたくさんあり、ラファエロの作品もあって興奮していたそうです。
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<6日目>
午前中に専用バスにて空港へ向かい、シャルルドゴール空港を出発しました。
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<7日目>
9:40に関西国際空港に到着し、全員無事に帰還しました。
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明日、明後日ゆっくり休んでもらい、お土産話をたくさんして頂きたいと思います。
長旅お疲れ様でした!

 

   高校2、3年生美術科 修学旅行3~4日目

高校2、3年生修学旅行3日目と4日目の様子をお送りします。

 

<3日目>
本日はルーブル美術館にて1万歩以上歩きました。モナリザの本物を観て感激したそうです。
午後からはアトリエ見学を行いました。
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<4日目>
4日目の午前中はノートルダム大聖堂とポンピドゥーセンターに行きました。
ポンピドゥーセンターも近代画家の作品を集めた美術館であり、本日もたくさんの作品を見ることができました。
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午後からはモンマルトルの丘へ行き、パッサージュを散策しました。
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全員元気に過ごしており、 フランスの旅にも慣れてきて、旅を楽しむゆとりが出てきています。

 

  2016-11-25 高校2、3年生美術科 修学旅行1~2日目

高校2、3年生修学旅行1日目と2日目の様子をお送りします。

 

<1日目>
現地時間16:42にパリのシャルルドゴール空港に到着し、バスにてホテルへ向かいました。
ホテルに到着した後はミーティングを行い、近くのスーパーで買い物をしました。
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<2日目>
2日目のメインはオルセー美術館とエッフェル塔です。
ガイドさんの説明はわかりやすく、たくさんの作品を見ることができました。
また、エッフェル塔にものぼり、その後はシャンゼリゼ通りを散策しました。
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夜はライトアップしたエッフェル塔を見て、夕食は街中のお洒落なレストランでエスカルゴと鴨肉を食べました。
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皆、元気に過ごしていると連絡が入っています。
3日目はルーブル美術館とアトリエ見学の予定です。月曜日以降に更新します。

 

 

  2016-11-22 (中学)生徒会役員任命式・高校2、3年生美術科 修学旅行1日目

本日、中学生の生徒会役員任命式が行われ、高校2・3年生の美術科は修学旅行に出発されました。

 

< (中学) 生徒会役員任命式>
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生徒会役員が、校長室にて任命されました。
今後たくさんの行事をまとめてもらいます。頑張っていきましょう!

 

< (高校)美術科  修学旅行1日目>
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9:45に関西国際空港に集合し、フランスのパリ・シャルルドゴール空港へ向かいました。
修学旅行の情報を今後も更新していきますのでお楽しみに。

 

  2016-11-21 中学生 球技大会

本日、中学生を対象にアリーナにて球技大会が行われました。


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新生徒会が初めてまとめることとなった行事でした。

 

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中学1~3年生の混合チームで学年わけ隔てなく、皆楽しくドッヂボールをしていました。

 

   11月19日(土) 学校説明会

11月19日(土)に中学校・高等学校の学校説明会が行われました。

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  天気は快晴ではありませんでしたが、たくさんの方がご参加くださいました。

 

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 プリスクールコースを希望の方は短大の音楽室と図工室も見て頂きました。

 

次回の学校説明会は12月3日(土)10:00からです
学校説明会は残り2回となっております。是非、ご参加ください。

 

  2016-11-17 学校説明会について

11月19日(土)に中学校説明会・高等学校説明会が開催されます。
プログラムは以下の通りになっております。
学校説明会

*お願い*
公共交通機関を使ってご来校ください校内に駐車場はございません)。

当日のスクールバス送迎時間については、こちらをご覧下さい。(→スクールバスについて
ご不明な点がございましたら、本校までご連絡下さい。(078-940-1131)

 

   11月16日(水) 全校礼拝

11月16日(水)全校礼拝が実施されました。
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聖書:ルカによる福音書15章25ー32節
讃美歌:493番
「共に喜ぶ」

 前回は、ルカによる福音書15章の「放蕩息子たとえ」の前半の話をしました。今日は、その後半の話です。
前半では、二人の兄弟の弟は、父の財産を分けてもらって、父の家から出て行って、放蕩に身をもち崩して、無一物になり、もうのたれ死にするしかないというときに、「我に返って」、すなわち悔い改めて、父の所に帰ったところ、父が大喜びして迎え入れてくれた、という話でした。この話しがここで終わっていれば、非常に感動的であると思います。今日の話がついていることで、せっかく感動的な話がぶち壊しになる、という印象も受けます。 さて、このたとえでは、父と兄と弟の3人が登場します。そして、この兄弟は非常に対照的です。兄は、真面目で、働き者で、親に良く従う優等生です。それに反して、弟は、ぐうたらで、怠け者で、親に逆らう問題児です。25節を見ると、「兄は畑にいた」とあります。この短い言葉から兄の日ごろの生活が想像出来ます。恐らく朝も、早くから畑に出て働いたであろう。さらに、29節では、「何か年も、父の言い付けにそむいたことがない」と言っています。これも本当のことでしょう。この兄は、真面目で働き者で、親に忠実な息子でした。もし、このたとえで、放蕩に身を持ち崩した弟が評価され、真面目で働き者の兄が非難されているとしたら、疑問を抱かざるをえません。 しかし、決してそういうことを言っているのではありません。弟の生活態度が褒められて、兄の生活態度が非難されているというのでは決してありません。このたとえを注意してみると、父は兄の生活態度に対して、けっして怒ったり、非難したりはしていません。むしろ、31節の「私の物は全部あなたのものだ」という言葉から想像して、父にとってこの兄は自慢の子であった、と思われます。今日の話においても、兄の生活態度に対しては少しも非難されてはいません。
 ただ、一つの点が、しかし問題なのです。すなわち、非寛容ということです。28節に、「兄は怒って家に入ろうとしなかった」とあります。この兄の態度は、しかし分からないことはありません。自分は親のいいつけを忠実に守って、朝から晩まで畑で一生懸命働いているのに、弟は親の財産を先取りして、しかもそれを遊びのために全部使い果たしてしまった、そしてその揚げ句の果てに、のこのこと帰ってきたのです。考えてみると、これははなはだ勝手な行動です。ところが、この兄は、自分の弟に向かって直接その怒りを投げ付けてはいないのです。父の態度に対して怒っているのです。29ー30節には、次のようにあります。
  しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』兄は弟に対して直接怒りをぶちまけるのでなく、父の態度に対して、父が余りにも寛容すぎるのではないか、という風に怒っているのです。親に忠実であった自分は、子やぎ一匹も御馳走してくれたことはない。しかし、放蕩で財産を使い果たした弟は、帰ってきたというだけで、子牛を御馳走になっている。余りにも不当な取り扱いではないか。余りにも不公平ではないか、と言っているのです。私達はこの兄の怒りがむしろよく分かるのではないでしょうか。私達がこの兄の立場にたたされたなら、同じ言葉を吐くのではないでしょうか。人間は常に自分を他と比較して、他の人より多くの報いを受けたいと思います。特に自分が一生懸命、真面目にしている場合は、他の人より多くの報いを受けてしかるべきだ、と思います。自分が寛大に取り扱われていることに対しては、余り気付きません。しかし、他人が不当に寛大に取り扱われるならば、我慢が出来ないのです。こういう時、すぐ不公平だと非難します。そういう点からすると、この父の態度は不当に寛大であり、不公平でしょう。私達も他人が不当に寛容にされたときは、それを喜ぶよりもむしろ怒りを感じることが多いのではないでしょうか。ここで父は、「喜び祝うのは当たり前だ」と言っています。父親にとっては、もう死んだと思っていた息子が帰ってきたなら、手放しで喜びます。そして父親は、兄にもその喜びを共にしてもらいたかったのです。神は、ご自分だけが喜ぶのでなく、この喜びを共にして欲しいのである。兄は、とても真面目で働き者でしたが、この共に喜ぶ、という態度が欠けていたのです。父に忠実である、と言いながら、父の喜びを共にできなかったのです。しかし、「共に喜ぶ」ということは、実はなかなか難しいことかもしれません。パウロは、ローマの信徒への手紙12章15節で「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」と言っていますが、泣く者と共に泣く、不幸な人に同情することは出来ても、喜ぶ者と共に喜ぶことは、なかなか難しいのです。 兄は、父が弟に対して、不当に寛大であると腹を立てていますが、自分に対して寛大であることには気付いていないのです。父の家にいていつも父の愛を受けつつ、何不自由なく暮らしていたこと自体が大きな恵みであることに気付いていないのです。神は腹を立てることではなしに、共に喜ぶことを求めます。

 

  2016-11-14 収穫感謝礼拝・(中学)生徒会役員選挙立会演説会

本日、収穫感謝礼拝と中学生は生徒会役員選挙立会演説会が行われました。


<収穫感謝礼拝>
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 生徒と教職員が学校に果物を持ち寄り、礼拝を行いました。
日々の恵みを感謝し、持ち寄った果物は放課後に
本学院関係の長期療養者や関係施設へ、お見舞いと感謝の気持ちを込めてお配りしました。

 

 

<(中学)生徒会役員選挙立会演説会>
中学生を対象に、生徒会役員選挙立会演説会が行われました。
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立会演説会終了後、投票に入りました。

結果は明日開示されます。お楽しみに!

 

  2016-11-10 11月9日(水) 全校礼拝

11月9日(水)全校礼拝が実施されました。
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聖書:ルカによる福音書15章11ー24節
讃美歌:387番
「絶望からの救い」

 

 今日は、イエスがされた「放蕩息子のたとえ」について学びます。この話はとても有名で、「世界で最も偉大な短編」とも言われています。
前回は、「10人のおとめのたとえ」で、「取り返しのつかないこと」という話をしましたが、今日は、人生には絶望はない、必ず希望があるのだ、という話をします。
 さて、この物語の父親には、二人の息子がいました。兄と弟です。聖書には、しばしば、全然性格の異なった兄弟が登場します。例えば、旧約聖書の最初の方に、カインとアベルという兄弟が登場しますが、これも全然性格が異なっています。そして、今日のテキストにおいても、全く対照的な人物のようです。兄は、どちらかと言うと、真面目で、親孝行で、働き者のようですし、弟は逆に遊び好きで、怠け者で、親不孝者でした。そして恐らく、優等生の兄にいつも劣等感をもっていたのではないでしょうか。一方真面目な兄は、ぐうたらな弟を軽蔑していたでしょう。
 さて、この弟は、親に自分の財産を要求しました。12節。
  弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前  をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。これは、遺産の先取りです。ユダヤの法律では、こんな場合、父の遺産は、兄には3分の2、弟には3分の1が与えられることになっていました。しかしそれは、父が死んだ時であって、父親が生きている間は、その財産は父が管理することになっていました。弟は何故、父の遺産を先取りしようとしたのでしょうか。それは、父の家を離れて、自由に行動したかったからでしょう。父の家では、何不自由ない生活であったと思われますが、そこに魅力を感じず、もっと面白い世界がある、何でも自分の好き勝手にできる所がある、と思ったのでしょう。自由ということは、非常に大切なことです。しかし、何でも自分のしたいようにする、ということは、本当の自由ではありません。自由には、必ず責任と言うことが伴います。13節には、次のようにあります。
 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。この放蕩息子は、自由というものを、自分の欲のままに勝手気ままにしていいと理解したのです。このような自由の結果は、決していいものとはなりません。この弟は、お金があれば何でも自由に出来ると考えたのでしょう。しかし、お金の力なんていうのは、実にはかないものです。特に自分の楽しみのために使う場合は、あっと言う間です。
 この弟は、自分の力で、自分の好き勝手に、自由に生きようとしましたが、父からもらった財産も瞬く間に使い果たし、食べるものもなくなり、とうとう豚飼いをさせられたのです。ユダヤ人の社会では、豚は汚れた動物とされていました。しかし、彼には、その汚れた動物である豚の世話をする仕事しか残されていなかったのです。しかも16節を見ますと、彼はその豚のえさであるいなご豆で腹を満たしたいと思った、とあります。この弟の人生は、全くの失敗です。行き倒れになるしかありません。まさに、取り返しのつかないことをしてしまったのです。先週の話の愚かなおとめの状態です。しかし、取り返しのつかないことをすれば、全くの絶望かと言うとそうではありません。取り返しのつかないことになっても、それで終わりではありません。まだ、希望が残されているのです。「あんぱんまん」の作者のやなせたかしの本に『絶望の隣は希望です』という本があります。まさに、この放蕩息子は、絶望のただ中で希望を見出したのです。それは、この息子は、この惨めな状態の時に、父のことを思い起こしたのです。
17-19節。
  そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』ここに「本心に立ちかえった」とあります。ここで息子は、今本来の場所である父の所へ帰ろう、と思います。これが、悔い改めです。心から反省する所から新たな希望が与えられるのです。そして、この息子は、父のところに帰り、新たな歩みをすることができたのです。たとえ取り返しのつかないような失敗をしても、それを心から反省し、心を入れ替えるなら、希望が生じるのです。

 

  2016-11-08 11月6日(日) 文化祭

11月6日(日)に夙川学院の文化祭が行われました。


ポートアイランドキャンパスへ移転して初めての文化祭となりました。
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約1000人の方が来場してくださいました。たくさんのご来場ありがとうございました。

 

  2016-11-04 11月2日(水) 全校礼拝

11月2日(水)全校礼拝が行われました。

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讃美歌 ♯387番

聖書  マタイによる福音書25章1-13節  

「取り返しのつかないこと」

 

 今日の話もイエスの譬え話しです。タイトルには「10人の乙女のたとえ」とあります。10人の乙女がいて、5人は油を用意していたが、残りの5人は用意していなかったためそれを買いに行っている間に花婿が到着し、もう家には入れてもらえなかった、という話しです。この話は、私達に人生には取り返しのつかないこともある、ということを教えていると思います。失敗も許される失敗と、もう取り返しのつかない事がある、ということです。皆さんが中間試験でもし悪い成績しかとれなかったとしても、決定的な失敗ということではないでしょう。期末試験に頑張れば、取り返せるでしょう。そう思って、一生懸命勉強すれば、それはかなえられると思います。スポーツの試合でも、相手に負けてしまっても、それは決定的な敗北ではありません。今度勝てるように一生懸命練習すれば、それはかなえられると思います。むしろ、失敗をして、その反省から、今度は頑張る、ということもある。失敗しても、それをバネにしてかえってよくなるということもあります。日本シリーズでは、残念ながら広島カープは日本ハムに敗れて、優勝することができませんでしたが、広島ファンは、それで絶望に陥ったのではなく、来年に期待しています。こう言う失敗は、回復できます。決して、取り返しがつかないのではありません。
 しかし、人生には、取り返しのつかない失敗もあります。私の中学の時の友達にも、取り返しのつかない結果になった人がいます。その友達は、運動神経が抜群で、体操部に入っていました。そして、その演技に皆のあこがれでした。私たちは、彼がやがて、オリンピックにもでられるのではないか、と期待していました。ある時、彼が近所のおじさんの乗っていたバイクに乗りたくて、おじさんにバイクの鍵を貸してほしい、と言いました。彼は中学生なので、勿論バイクの免許は持っていませんでした。しかし、おじさんは、その彼がとても運動が上手なので、バイクなんか簡単に乗れると思い、軽い気持ちでバイクの鍵を貸してやったのです。そして、彼はバイクに乗って、隣の町まで行き、帰りに下り坂でスピードを出し過ぎて、カーブを曲がりきれず、壁にぶつかって、倒れてしまいました。即死でした。14才の短い生涯でした。そのお母さんはとても嘆き悲しんで、鍵を貸した近所のおじさんに、鍵さえ貸してくれなかったら、と悔やんでいました。しかし、後から悔やんでももう取り返しがつきません。このおじさんは、軽い気持ちでかぎを貸したことを、一生後悔して暮らすことになりました。これは、今度気をつければ、取り返しがつく、というものではありません。
 今日のイエスのたとえ話ですが、5人の愚かなおとめは、ちょっとした不注意で油を用意することを忘れてしまったのです。しかし、それが取り返しのつかないことになったのです。油を買いに行っている最中に婚礼が始まって、扉が閉められてしまった、と言うのです。ここでイエスは、失敗にも取り返しがつくものと、取り返しのつかないものがある、と言うことを教えているように思います。もし自分が軽い気持ちでしたいじめが原因で、だれかが自殺したとしたら、その人は、一生後悔するのではないでしょうか。イエスはここで、「目を覚ましていなさい」と言っています。これは、私たちに対する警告だと思います。