月間アーカイブ: 2017年5月

2017-05-23  中 学 校  6月18日(日)夙川学院中学校オープンスクール申込開始

6月18日(日)に実施されます、オープンスクールの詳細です!!

夙川学院中学校オープンスクール


日時 2017年6月18日(日)
時間 10:00~12:00(予定)(受付9:15~10:00)

会場 本校 
内容
・全体説明           10:00~10:30
・体験プログラム  10:30~11:00     
・質問タイム         11:00~12:00終了予定

<体験プログラム>
◇英語(定員15名)「ネイティブと話そう」
◇情報(定員20名)「プログラミングをしてみよう」
◇理科(定員15名)「グループワークにおいて簡単な理科の題材を用意し、一緒になって問題を解決する」
◇音楽(定員15名)「歌や創作リズム」
◇国語(定員15名)「作品をみんなで読み解こう」
◇数学(定員15名)「実は役立つ数学」
※こちらから1つお選びください

申し込み方法
※事前の申し込みが必要です。 体験プログラムは定員があり、先着順となりますので、お早めにお申し込みください。
申し込みは、6月16日(金)16:30まで 
 
お申し込み・お問い合わせ
0789401131
※受付は平日月曜日から金曜日 8:30~16:30まで

 アクセス

★最寄り駅まで

JR「三ノ宮」駅、阪急・阪神「神戸三宮」駅、神戸市営地下鉄「三宮」駅から、ポートライナーで約9分の「みなとじま(キャンパス前)」駅下車、徒歩10分です。

★降車後

みなとじま駅の改札を出て真っ直ぐ進むとファミリーマ-トがあります。ファミリーマートの角を左に曲がりしばらく進むと歩道橋があるので登ってください。歩道橋を降りたら駅を背に左に進みます。神戸学院大学・兵庫医療大学を過ぎると夙川学院中学校が見えてきます。

 

2017-05-18  中 学 校  2017年5月16日(火) 中学生 球技大会

5月16日(火)、アリーナにて球技大会が行われました。

球技大会は、中学校の生徒自治会による企画です。
学年を越えてチームを作り、ドッジボールをはじめ、自分たちで選んで決めたゲームを楽しみました。

 

 

 
先輩後輩との親睦を深めることができました。

中学3年生は、今年が中学校最後の一年です。
 一日一日を大切にして、学校生活を思いきり楽しんでくださいね!

 

2017-05-18  中 学 校 高等学校 2017年5月16日(火)放送礼拝 メッセージ「最も大切なもの」

5月16日(火)、放送礼拝が実施されました。

 
アリーナでの全校礼拝とはまた違って、
それぞれの教室でアットホームな雰囲気のなか、礼拝が守られます。


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マルコによる福音書8章34-36節 「最も大切なもの」
学院宗教主事 樋口進

 

あるアンケート調査で、「あなたにとって最も大切なものは何ですか」というのがありました。
皆さんは、どう答えるでしょうか。
その答えで一番多かったのは、「健康」と答えた人です。
わたしも、学校の健康診断でコレステロール値と血糖値が少し高いということで、食べるものとか運動に気をつけています。そうやって、テレビを見ますと、健康に関する番組が非常に多くあることに気付きました。
そして、この食べ物がいいとか、この運動がいいとかいうと、すぐ試したくなります。
やはりこのアンケートにあるように、多くの人は健康に気をつけているのだな、と思いました。
そして、先ほどのアンケートで次に多かった答えは、「毎日を平和に過ごす」というものです。
そして、次に「お金」でした。
健康で、毎日平和に過ごし、多少のお金があれば、言うことなし、ということでしょうか。
「健康であること」、そして「毎日平和に過ごす」こと、そしてお金は、それ自体としては決して間違ってはいないでしょう。
しかし、人間にとって、一番大切なものは、それだけでしょうか。
もっと大切なものはないでしょうか。

先ほどの聖書において、イエスは「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか」と言われました。
この命と訳されている語は、ギリシア語ではプシュケーという語です。
これは、「命」とも「魂」とも訳せる語です。
これは、単に動物的に生きるという意味での生命ではありません。
もちろんそれも含みますが、命を与えて下さった神との関係における本来の人間の命です。
霊的な命と言ってもいいでしょう。

そして、聖書において、一番大切なのはこの命です。
聖書の理解によりますと、私たちはこの命を神から与えられたものです。
ですから私たちは、本来、命を与えてくださった神との関係において生きる者です。

健康ということは確かに大切でしょう。
わたし自身もそれを常に願っています。そしてそれなりに気をつけています。
食事に気をつけるとか、適度に運動をするとかです。
かし、命を与えて下さった神との関係を無視した生き方においては、自己中心的な健康の考え方になると思います。すなわち、自分さえ健康であればいいと考えてしまいます。
健康を害して苦しんでいる人の苦しみが見えません。
健康が一番幸福だとすると、病気の人は不幸ということになります。
しかし、たとえ健康を害していても、その魂(プシュケー)が生き生きとしている人もいます。

最近、日野原重明氏と星野富弘氏との対談が本になりました。
『たった一度の人生だから』というタイトルです。
この対談の中で、星野富弘さんは、「いのちというのは、自分だけのものじゃなくて、だれかのために使えてこそ、ほんとうのいのちではないかと思いました」と言っています。

また、「毎日を平和に過ごす」と言うことを最も大切に考えている人がいます。
確かにそれは大切なことですが、これも下手をすれば自己中心的な考えになります。
すなわち、自分が平和に過ごせたらそれでいい、ということです。
自分の家庭、自分の職場、あるいは自分の国が平和であればよい、という考えです。
他の国に戦争があっても、抑圧があっても、そういうことには関心がない、という態度です。
あるいは、お金や財産が一番大切だという考えも、往々にして自己中心的になりがちです。

イエスは、先ほどの36節で、「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか」と言われました。「全世界をもうける」とは、所有の極限でしょう。人間はあれも欲しい、これも欲しいと思うものです。そしてその最大のものを、全世界で表しているのです。
しかしイエスはここで、人は全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何もならない、と言われます。
人間はあらゆるものを手に入れることができたとしても、命を得ることはできません。
命は決して物によって交換できるものではありません。

エーリッヒ・フロムというユダヤ人の社会学者は、『生きるということ』という本を書きました。
この原書での題は、「持つことかあることか(to have or to be)」というものです。
彼は、この本の中で、現代社会においては、人間は「持つ」というあり方になっている、と言います。
そして、持つという場合、すべてを物に還元してしまい生きた関係を損なってしまっている、と言います。
それに対して、「ある」ということは、何も束縛されず、神から与えられた命、存在そのものを大切にする、と言います。
そして、他者との関係においては、与え、分かち合い、関心を共にする生きた関係となる、と言っています。このフロムの主張は、現代の物質文明を批判し、真の人間のあり方を追求しようとしたものです。

そして、私たちは、もう一歩進めて、真の人間のあり方は、私たちに命を与えて下さった神との関係に生きることだ、ということを考えたいと思います。
35節には、「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。」とあります。自己中心的な生き方をする者は、結局命を失ってしまう、とイエスは言います。私たちに命を与えて下さった神との関係に生きるということが、本当の命を得ることだということを思い、この命を大切にしていきたいと思います。

 

2017-05-11  中 学 校 高等学校 2017年5月9日(火)放送礼拝 メッセージ「万事は益となる」

5月9日(火)、放送礼拝が実施されました。
 
本校では、様々な形式をとった礼拝を、毎日守っています。
放送礼拝はそのうちの一つで、各教室にて放送で讃美歌を歌ったり、メッセージを聞いたりします。

  

  静かに、聖書の言葉に耳を傾けます。     夙川学院オリジナルの聖書讃美歌バッグです。
 

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ローマの信徒への手紙8章28-30節 「万事が益となる」
学院宗教主事 樋口進

人生には、自分の計画通りでないこともあります。
そのようなとき、自分の目指していたことは違うと言って、受け入れたくないと思うかも知れません。
しかし、自分の思っていない事態になってもそれを受け入れるならば、そこから新しい道が開けてくることがあります。
大事なことは、与えられたものを受け入れると言うことです。
人生には、自分の意志でないのに受け入れなければならないことがあります。
それは、自分が生まれてきたことです。
私たちは、自分の意志で生まれてきたのではありません。
芥川龍之介の小説に『かっぱ』というのがありますが、そこでカッパは生まれるときにお腹の中で、お前は生まれたいか、と聞かれると言うことがいわれています。今の世の中は、暮らしにくく、嫌だと思えば、「生まれたくない」と言うことができるというのです。
しかし、人間の現実にはそんなことはありません。
私たちは、自分の意志とは関係なく、この時代に、日本に、それぞれの両親の元に生まれてきたのです。
これは、受け入れるしかないのです。
こんな時代に生まれたくなかったと言っても、どうしようもありません。
しかし、このようにして生まれてきたことを、神によって与えられたものとして、受け入れるのです。
私たちは、自分で決められることももちろんありますし、決めなければならない場合もあります。

しかし、自分で決められないこともあります。あるいは、自分の望んでいない事態になることもあります。
皆さんの中には、夙川学院に入ることを望んでいなかった人もいるかもしれません。
そのようなとき、たとえ自分の望んでいなかったことでも、受け入れるということが大切なことです。
そして、それが神から与えられたものだと受け入れるならば、自分の望んでいないことでも神が良き方向に導いてくださるのです。

先ほど読んだ聖書のローマの信徒への手紙8章28節に、「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」とありました。
ここでは、神は万事を益としてくださる、と言われています。
ローマの信徒への手紙は、パウロという人が書いた手紙ですが、これはパウロの実際の経験から出た言葉です。
パウロは、初期のキリスト教の伝道者でした。彼は実に多くの地方に伝道し、キリスト教を広く伝えました。
パウロのお陰でキリスト教が世界の宗教になった、と言っても過言ではありません。
彼は、綿密に計画を立てて伝道したのですが、しかし計画通りに行かなかった場合も多くありました。
ある時は、北の方に行く計画をしていたのですが、何かの差し障りが起きてそちらに行くことができずに、逆の方に行かざるを得ないこともありました。そして、最初の計画を諦めて、別の方向も神によって与えられたものと受け入れて、そちらに行くと、そちらで思わない成果が得られたと言うこともありました。この「万事を益としてくださる神」ということは、そのようなパウロの実際の体験から出た言葉なのです。

私たちは、時には、とても辛いこと、苦しいことが与えられることもあります。
そのようなときも、そんなのは厭だ、と言って受け入れたくないかもしれません。
しかし、それを受け入れるならば、神が万事を益としてくださるのです。
パウロは、神は万事を益としてくださる、と言いました。
自分の考えていたことと違う事態になっても、その事態を受け入れ、それを神に与えられたものと受け止めるときに、神は万事を益としてくださるのです。パウロは、そのことを実際に何度も体験しました。
私たちの人生に於いても、私たちの計画通りに行かないこともあると思いますが、そのことも神によって与えられたものだと受けいれるならば、神は万事を益として下さることを覚えたいと思います。