年間アーカイブ: 2018年

  2018-06-18 地震発生に伴う学校状況と明日について

交通機関が再開しだし、生徒の帰路の確保ができました。ご協力ありがとうございました。

明日の登校について連絡します。
明日、特に問題がなければ通常通り授業を行います。
ただし、自宅周辺が危険な状態な場合、及び登校に支障をきたすような状態であれば自宅で待機してください。その場合、必ず保護者から学校に連絡をお願いいたします。
また今後緊急を要する事態があった場合、明日の朝6時に判断をし、フェアキャストを配信する予定としています。

 

   地震発生に伴う学校状況について 2

現在学校に待機している生徒で、交通機関が動いて帰路が確保されている生徒については、帰宅させます。また、保護者の方で学校にお迎えが可能な方はお願いいたします。

なお、山陽電鉄が西代駅から西方面が運行しています。神戸電鉄も運行しています。

そこでスクールバスにて新開地駅・西代駅へ送迎をします。(13時学校発)

 

保護者との連絡を引き続きとれるようにしておいてください。

帰宅したら、学校に必ず連絡するようにしてください。

 

   地震発生に伴う学校状況について

7:58に大阪部北部を震源地とした地震発生により、本校でも大きな揺れを観測しましたが、被害はありません。現在、出席状況の確認を行っております。

学校に登校している生徒は、学校待機としています。

交通機関も不通の状況が続いておりますが、保護者におきましても、生徒におきましてもできる限り連絡がつくようにしておいてください。

 

  2018-06-15 全校礼拝 ルカによる福音書15章8~10節 「かけがえのないもの」

2018年6月15日(金) 全校礼拝が行われました。
宗教主事の樋口進学院長が、
ルカによる福音書15章8~10
節 「かけがえのないもの」 と題して、お話をしてくださいました。


今読んでいただいた話は「無くした銀貨」のたとえ、と言います。
ある女の人が銀貨10枚もっていて、その1枚を無くしたところ、それが見つかるまで家中をひっくり返して一生懸命捜した、という話です。これは当たり前のように思われます。私たちだって、お金を無くした場合には一生懸命捜すでしょう。しかし、ここでこの女の人の態度が不思議に思えるのは、無くした銀貨が見つかった時の態度です。この喜びの態度です。

見つかった時に、友達や近所の人を集めて「一緒に喜んで下さい」と言った、と言うのです。私たちもお金を亡くした時に、それを一生懸命捜しはしますが、それが見つかった時に、友達や近所の人たちを集めてこういうことをするでしょうか。莫大なお金を無くして、それが戻ってきた場合には、あるいはそういうこともするかも知れません。しかし、ここの銀貨というのは、そんなにびっくりするほど高価なものではありません。

これは、ギリシアのドラクメ銀貨というもので、労働者の一日の賃金に相当する位であると言われています。当時の低賃金から考えて、仮に千円、あるいは2千円とします。そのくらいのお金が一生懸命捜して見つかった時に、近所の人や友人を呼んで、この当時の習慣として、そういう場合は必ず大判ふるまいをするのです。費用としては、当然見つかったお金よりもはるかに多くの費用がかかるのです。このような喜びを果たして私たちはするでしょうか。

それは、この女の人にとってその無くした1枚の銀貨は、他のものには代えられない、かけがえのないものであったからです。他の人にとっては、ただの1枚のそれほど価値のない銀貨かも知れませんが、この女の人にとっては、他のものに代えられない大切な銀貨だったのでしょう。千円、2千円位のものであれば、無くしても、またそれを手に入れてそれで代わりをすればいいと思うかも知れません。しかし、この女の人にとっては、それが出来なかったのです。それには、この銀貨には、この女の人にとって、何か特別の訳があったのです。

10枚の銀貨をもっていた、とあります。ここにあるいは特別な意味があるのかも知れません。当時のパレスチナの貧しい娘が結婚する時、10枚の銀貨を鎖に通して、結婚の記念として両親がもたせた、と言われています。恐らくここでも、この女の人が結婚する時に、その記念として両親からもらった銀貨の10枚だったのでしょう。それであるなら、他の人にとってはただの、それほど価値のない銀貨であったかも知れないが、この女の人にとっては、他の何ものにも代えられない貴重なものだったのです。

さて、この譬えでイエスが言おうとしていることは、神は私たち一人ひとりを他の何ものにも代えることのできないかけがえのないものとされている、ということです。親が自分の子を気に入らないから、それをだれかにあげて、もっと気に入る他の人をもらう、ということはないでしょう。たとえどんな子であっても、親にとって子はかけがえのないものです。それと同じように、神にとって私たち一人ひとりは、それ以上にかけがえのないものとして下さっている、というのが、この譬えでイエスが言わんとすることです。

しかし、私たちは、神からそんな大切にされていることに気がついていないかも知れません。もし、そのことに気付いたら、神は大喜びをしてくれる、と言うのです。そこで、10節を見て下さい。
「言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」とあります。罪人とか悔い改めと言われていますが、要するに、わたしたちが神によってかけがえのないものとして愛されているのだ、ということに気がつくことが出来るならば、神はとても喜んで下さる、ということです。

また、明後日は「父の日」ですが、普段あまり気がついていないかもしれませんが、皆さんのお父さんも皆さんをかけがいのなない者として大事にして下さっていると思います。何らかのかたちで感謝の気持ちを表してはいかがでしょうか。

 

 

   高3研修旅行 帰国

11日(月)よりマレーシア、シンガポールへ研修旅行に出発していました高校3年生。

悪天候のため飛行機到着が10分弱程遅れましたが、その後入国手続きを済ませ予定通り6:30頃に到着ロビーへ。

長旅の疲れもありましたが、元気な姿で帰国してくれました。

それぞれがこの一週間で学んだこと、経験したことをはとても貴重なものになってのではないでしょうか。

帰って家庭や学校でたくさん思い出話を聞かしてくれることでしょう。

    

 

  2018-06-11 高校3年生 研修旅行に出発

本日より高校3年生が研修旅行のため出発しました。

早朝7時45分、関西国際空港に集合し、これから始まる研修旅行での注意事項をもう一度確認し、日本を出発しました。
まだ日本にいるのにも関わらず、出国手続きの前に「先生、ここは日本語が通じますか?」と緊張している生徒もいました。
海外初体験の生徒も多いようで、楽しみと期待半分、不安半分というようなところでしょうか?
    
    

日本では味わえない体験をたくさんして、無事に帰ってきてもらいたいと思います。

 

  2018-06-08 全校礼拝 ルカによる福音書14章11-19節 「謝ること」

 

2018年6月8日(金) 全校礼拝が行われました。

宗教主事の樋口進学院長が、
ルカによる福音書14章11~19節 「謝ること」 と題して、お話をしてくださいました。

今日読んでいただいた聖書の物語は、イエスが話された「放蕩息子のたとえ」という話です。
長いので、今日は途中まで読んでいただきましたが、有名な話なので皆さんも聞かれたことがあると思います。ある人に二人の息子がいましたが、弟の方がお父さんから財産を分けてもらい、それを全部遊びに使ってしまって無一物になった、という話です。

この弟は、食べる物に困った時にもお父さんのことを思い起こして、お父さんに全部正直に話して心から謝ろうとして家に帰りました。そしてお父さんに、先ほど読んでいただいたように言って謝った、というのです。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』それを聞いたお父さんは、腹を立てたのではなく喜んで、赦してくれただけでなく大ごちそうをしてくれた、というのです。

何か間違ったことをした時、悪いことをした時、約束を破ってしまった時、私たちはどうするでしょうか。まず考えることは、何とかごまかそうとする、そのために嘘をついてしまうということではないでしょうか。正直に話して謝るということは、なかなか勇気のいることです。

先日の日大と関学のアメリカンフットボールの試合で、違法なタックルをして、関学の選手にけがを負わせた日大の選手は、記者会見の席で自分のした過ちを正直に言って謝罪しましたが、とても勇気のいることだったと思います。しかし、この態度は多くの人に非常に好感を持たれたと思います。

最近よく読まれている本に『君たちはどう生きるか』というのがあります。この著者は、吉野源三郎という人でもう80年以上も前に書かれた本です。そんな昔の本が今またブームになり、漫画にもなっているそうです。

この主人公は、コペルくんという旧制中学生の生徒です。コペルくんというのはあだ名で、彼のおじさんが天文学者のコペルニクスからとったあだ名です。コペルくんには、北見君、水谷君、浦川君という仲良しの友達がいました。この中学校には、たちの悪い上級生がいました。特に北見君は、上級生ににらまれていました。そこで四人はある約束をします。それは、一人が上級生にいじめられた時には、名乗り出て一緒に制裁を受けよう、という約束です。

そしてある雪の日に、北見君は上級生に言いがかりをつけられて殴られます。それを見ていた水谷君と浦川君も仲間だと言って名乗り出ます。コペルくんも見ていたので名乗り出ようとするのですが、怖くなって足が動きません。そうこうするうちに三人は、上級生に乱暴されました。コペルくんは何度か名乗り出ようとするのですが、どうしても出ることができなくなります。そうこうするうちに授業の鐘が鳴って、上級生たちは引き上げていきます。そして、乱暴された三人は、肩を組んで行ってしまいました。

コペルくんは、とうとう三人の前に出ることはできませんでした。友達を裏切ってしまったという後悔の念に襲われ、夜も寝ることができず、とうとう病気になってしまいました。コペルくんは、最初言い訳をしようと思いました。じつは、あの現場を見ていなかったのだ、と。しかし、それは嘘になってしまいます。

そこでコペルくんは、一番信頼していたおじさん(お母さんの弟)に相談します。するとおじさんは、正直な気持ちを手紙に書いて送ることを提案してくれました。そしてコペルくんは、言い訳をするのでもなく、ごまかしたり嘘を書くのでもなく、正直な気持ちを書いて、心から謝ったのです。それを読んだ三人は、その手紙を喜んでくれ、後日コペルくんの家を訪ねて再び友情が保たれた、ということです。

先ほどの放蕩息子の話でも、コペルくんのことでも、なにか間違ったことや悪いことをしてしまった時、また約束を破ってしまった時は、言い訳したり、ごまかしたり、嘘をついたりせずに、正直に言って謝ることが大切です。それは、非常に勇気のいることですが、そのことによって本当に信頼が回復すると思います。また、放蕩息子のお父さんが大喜びしたように、神が喜んでくれると思います。

 

 

  2018-05-30 5月25日柔道 グランプリフフホト(シニア国際大会)に-52kg級で優勝しました。

5月25日に中国で行われましたシニアの国際大会であるグランプリフフホトに-52kg級の阿部詩が出場しました。
結果はオール一本で優勝!!
世界選手権へ向けいいスタートがきれました!

 

   5月20日柔道 マルちゃん杯近畿予選にて3位入賞しました。

5月20日に行われました、マルちゃん杯の近畿予選で男子中学生団体において3位入賞を果たし全国大会への切符を獲得しました!
夙川柔道部史上初めての男子での全国大会出場です!これからも応援よろしくお願いいたします。

 

   5月20日柔道 ポーランドカデ国際大会-70kg級 優勝しました。

ポーランドにて行われたカデカテゴリーの国際大会に-70kg級で日本代表として出場した本校高校1年の桑形萌花が優勝しました!

応援していただいていた皆様ありがとうございました!

 

  2018-05-18 全校礼拝 マタイによる福音書7章7~12節 「求めなさい」

2018年5月18日(月) 全校礼拝が行われました。

宗教主事の樋口進学院長が、
マタイによる福音書7章7~12節 「求めなさい」 と題して、お話をしてくださいました

私たちにとって、探求心というのは、非常に大事だと思います。
今お読みしましたマタイによる福音書7章7節には、「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」とありました。

この言葉は、習字で書かれたものが額に入れられて、学内のどこかに飾られていますが、ご存じでしょうか。音楽室の前の階段の横の壁に飾られていますので、また見ておいて下さい。これは、以前に習字を教えておられた米田先生という書道の先生が書いて下さったもので、とても値打ちのあるものです。

この言葉は非常によく知られている言葉ではないでしょうか。キリスト教を知らない人でも、この言葉を知っている、と言う人も多いのではないでしょうか。これは、一生懸命探求すれば必ず与えられると解釈されて、多くの人の心に留められているのではないでしょうか。

ここでイエスは、単なる処世訓を言っているのでありませんが、しかし私たちが神に一生懸命求めるならば、神は必ずそれを与えて下さる、ということを言っているのです。それでは、私たちがどんなことを求めても、神は与えて下さるのでしょうか。

例えば、自分の嫌いな人が不幸になることを求めても、神はそれに答えてくれるのでしょうか。恐らくそんな自己中心的な求めには答えてくれないでしょう。今、ニュースで話題になっている関学と日大とのアメリカンフットボールの試合で、日大の選手が違反のタックルをして関学の選手に怪我を負わせたという事件は、試合に勝ちたいという求めが相手を不幸にさせるということで、これは神に認められる求めとはいえません。「求める」という場合、自分のことだけを求めるなら、それは自己中心的になり、他の人を苦しめるという結果になりかねません。

そこで、イエスは、相手の立場に立って考えるべきだとして、12節において、次のように言われました。
「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」
宮沢賢治は、「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」と言いました。自分の幸福が他の人を不幸にしているということがよくあります。戦争なんかはそうでしょう。こちらが勝利すれば、相手は不幸になっている訳です。自分が何かを求める時、他の人も同じ求めをもっている、ということを考える必要があります。

イエスが教えた「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」という言葉は、一般に「黄金律」(Golden Rule)と言われています。その名の通り、最も高い人間の倫理でしょう。もしすべての人がこれをすることが出来れば、世の中は幸福になると思います。これと同じような教えは他の宗教にもあります。

例えば、中国の孔子は論語の中で、「己の欲せざるところは、人に施すなかれ」と教えました。これは、儒教の教えとして、日本人にも深く浸透しているのではないでしょうか。親が子によく言うことは、「とにかく、人に迷惑をかけないように」ということではないでしょうか。
ユダヤ教のタルムードに於いてもこの論語の言葉とよく似たものがあります。「あなたの望まぬことを、あなたの隣人に対してしてはならない。これが法のすべてである」という言葉です。いずれも、自分にとっていやなことを他人にしてはならない、という教えです。これは重要なことであり、人間が社会生活を営んでいく時には守らねばならない基本的なことでしょう。

しかし、イエスの教えた黄金律は、これと少し違います。すなわち、自分にとっていやなことを他人にするなというのは、少し消極的な態度です。他人に迷惑にならないように、当たり障りのない生き方をする、ということになります。これに対してイエスの「人にしてもらいたいことは、人にもしなさい」というのは積極的な態度です。しかし、それはなかなか困難なことです。

イエスの姿勢は、人に求める前に、自らがその人になしていく、というものです。もし、人に信用されたいと思うなら、自分がまずその人を信用することです。相手を心の底から信用していないのに、どうして相手から信用されるでしょうか。もし、友達に愛されたいと思うなら、まず自分が本当にその友達を愛していくことです。人に尊重されたいと思うなら、自分がまずその人を尊重することです。イエスはまさにこれを行われたのです。

しかし、私たちには、なかなかそのことは難しいのです。どうしても、自分中心的な求めになりがちです。そこで7節にかえって、「求めよ」というのは、この黄金律に従うことの出来るようなあり方を求めよ、ということではないでしょうか。私たちのいろんなことを求める探求心は、非常に重要ですが、それが自分だけのものとなるのでなく、他の人のことも考える心を持ちたいと思います。

 

 

  2018-05-12 文化祭2018

本日、本校にて2018年度の文化祭が行われました。

天候にも恵まれ、生徒も汗を流しながら来てくださった方々のために一生懸命動く姿がすごく印象的でした。

    

             
模擬店には開場から終日多くの人で賑わいました。

         
展示会場にも多くの人に来ていただき、日頃の成果を見ていただきました。

    
ステージ発表にも多くの人で空席の方が少ないくらいでした。どのクラブも大盛り上がりのうちに終えることができました。

来場者は約800人でした。本当に多くの方に来ていただきました。ありがとうございました。

 

  2018-05-11 ただいま文化祭準備中!

明日、本校では文化祭ですが、その前に全校生徒でステージ発表は鑑賞しました。

   

午後からはそれぞれの準備を行いました。

   

   

来てくださった方々が楽しんでいただけるよう、心を込めて準備中です。

 

  2018-05-02 2018年度 小学生保護者対象学校説明会

2018年度学校説明会のご案内

5月15日(火)19日(土)25日(金)に開催される

小学生保護者対象学校説明会につきましては、こちらのフォームからお申し込みください。

 

  2018-04-28 学級懇談会・進路説明会が行われました。

本日、本校にて学級懇談会が行われました。
高校3年生は学級懇談会に先立って、進路説明会も行われました。

      

クラスの保護者が集まって話せる貴重な機会とあって、たくさんの保護者の方が参加してくださいました。
ありがとうございました。

 

  2018-04-27 全校礼拝 ローマの信徒への手紙5章1~5節 「苦難から希望へ」

2018年4月27日 全校礼拝が行われました。

宗教主事の樋口進学院長が、
ローマの信徒への手紙5章1-5節  「苦難から希望へ」
と題して、お話をしてくださいました。

 皆さんは、何か苦難にぶつかったことがあるでしょう。そういう時、どうしますか?
そういう時には神や仏に祈ったりと言うことはないでしょうか。「困った時の神だのみ」という言葉があります。何とかして、その苦しみから救われたいと祈るのではないでしょうか。

 しかし、先程読んで頂いたローマの信徒への手紙5章3節で、パウロは「苦難をも誇りとします」と言っています。以前に訳された口語訳聖書では、「患難をも喜んでいる」と訳されています。患難とか苦難は、私達にとっては、決して歓迎すべきものではないでしょう。少なくとも、それを喜んだり、誇りにしたりするものではないでしょう。そういう事態は出来るだけ避けたいし、もし起こっても出来るだけ早く取り除いて欲しい、と思うものではないでしょうか。そして、そのために神仏に願ったりするのです。

 しかしここでパウロは、「苦難をも誇りとします」と言っています。どうしてでしょうか。それは、その苦難はそれに終わらず、希望へと通じていることを信じていたからです。それは、神を信じ神に委ねることから与えられる希望です。

 皆さんもよくご存じだと思いますが、星野富弘という人がいます。彼は元々、運動のすごく出来る人でした。そこで、体育の先生になろうと思って、群馬大学の体育科に入り、そこを無事卒業して、念願の通り群馬県の高校の体育の教師になりました。
 
そして、2カ月たったある日、クラブ活動の指導中、器械体操をしていて、誤って墜落し、首の骨を折り、肩より下がすべて麻卑するという障害を負いました。念願の体育の教師になったのもつかの間、たった2カ月で、不治の病にかかったのです。星野さんは、もう目の前が真っ暗になってしまいました。
首の骨の所には、体中の神経をつかさどる中枢があって、彼の場合、肩から下に行く神経がやられてしまったので、手も足も一切動かすことが出来なくなりました。ベッドに横になって、ただ天井を見つめるだけの生活でした。
 
ただ、首から上の神経はやられなかったので、口を動かしたり、目で見たり、耳で聞いたり、また頭で考えたり、ということは出来ました。目で本を読むことは出来たので、最初はお母さんに本を持ってもらって、後には本を乗せる道具を作ってもらって本を読みました。
 
彼を励ます人もたくさんいて、病院にお見舞いに来ては、励まし、本も置いていきました。そんな中で、教会の人が聖書を置いて行きました。星野さんは、聖書を所々読むうちに先程のローマの信徒への手紙5章3~5節を読んだのです。口語訳聖書で読みました。そこには次のようにありました。

「それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終ることはない。」

 これを読んだ時、彼は自分は手も足も動かないけれども、自分にも何か希望があるように思えてきました。そこで、たった一つ動かすことのできる口を使って、何かをしようとしました。それは、口にサインペンをくわえて、字や絵を描くことでした。そして、本当によく努力をして、字を書くことを拾得しました。また、絵も描きました。そして、今や何冊もそのような絵と詩の書かれた本が出されています。こんな素晴らしい絵を口で描いているとは信じられないほどです。人間、希望に生きることが、いかに大きな力を与えてくれるか、ということが分かります。

 このローマの信徒への手紙を書いたパウロという人も、実にいろいろな苦難に遭遇しましたが、その苦難自体を見て絶望的な思いを抱くのでなく、その苦難は忍耐を通して、希望へとつながっていることを確信したがゆえに、大きな働きをなすことが出来たのです。
 
苦難を経験しない人はいないと思います。私たちも長い人生の中に置いて、多かれ少なかれ何らかの苦難に遭遇します。あるいは皆さんの中にも、現在何らかの苦難を抱いている人もいるかも知れません。その時に、絶望に打ちひしがれてしまうのでなく、忍耐をしつつ、その中になんらかの希望を見いだして、希望に生きる者でありたいと思います。

 

 

 

  2018-04-25 イースター礼拝が行われました。

4月24日(火)6限 本校にてイースター礼拝が行われました。

・イースター(復活祭)とは・・・
十字架で死んだイエスが、3日目の早朝に復活したという出来事を記念する日です。
移動祝日(年によって日が異なる祝日のこと)で、毎年春分の日の後の最初の満月の次の日曜日と決められています。今年は、4月1日でした。
イースターの前日までの日曜日を除く40日間を受難節(レント)といい、イエスの十字架の苦難や死の意味について(ひいては自分の周りにもある苦難や死についても)心静かに考える期間を過ごします。それを考えることは、生きることの意味を考えることにつながります。最近では、様々な場所でイースターを春のお祭りとして祝うことも多くなってきていますが、正確にはまだイースターではなく、レントの期間ということになります。
イースターには、新しい命の象徴(命が生まれる)としてゆで卵をデコレーションしたイースターエッグを飾りお祝いします。その卵はイースターの前日にイースターバニーが運んでくる(ウサギは多産の象徴である)という伝説があるため、卵とうさぎがお祝いに使われます。キリスト教の三大祭りの一つでクリスマスより大切にされています。
神がイエスを死から復活させたということは、具体的には、死に象徴される悲しみ、不安、絶望から、喜び、安心、希望へと神が転換させてくれることを信じて希望をもって生きよう、というメッセージがあります。

 

聖書    エゼキエル書37章1~10節(旧1357 ページ)
メッセージ    「絶望から希望へ」 樋口 進 学院長

今日はイースター礼拝です。今日はイースター礼拝です。イースターは、キリスト教の三大祭りの一つです。
イースターは、年によって日が違うのですが、今年は、4月の1日でした。ちなみに来年は、4月21日にあたります。年によっては3月の末になることもあります。とにかく、イースターは、イエス・キリストの復活を記念する日です。復活とは、死んだ人が生き返ることです。そんなこと私たちの頭では考えられないことです。これを科学的に証明する方法はありません。具体的にどういうことが起こったのか、それは聖書にもはっきりとは書かれていないのです。書かれているのは、それぞれの弟子たちが、復活のイエスに出会ったというそれぞれの体験が書かれているのです。それぞれが違う体験をしているのです。ある人は、道を歩いている時に復活のイエスに出会ったのだが、最初のうちはそれが誰か分からなかった。だが、一緒に食事をしている時に、それがイエスだと分かった、しかしその瞬間に消えてしまったというのです。
しかし、共通して言えるのは、その体験によってみんな希望が与えられた、ということです。弟子たちにとって、イエスが一番大事であり、一番頼りにしていたのです。そのお方が、突然、十字架にかけられて殺されてしまったのです。ここで、彼らはみんな、絶望状態に陥ったのです。しかし、復活のイエスに出会うという体験をすることによって、絶望が希望に変えられたのです。そして、イエスの教えていたことの意味がはっきりと分かったというのです。そして、そのイエスの教えを他の人に伝えていく力が与えられたというのです。 さて、今日お読みしたのは、旧約聖書のエゼキエル書です。これは、イエスよりも600年位前の預言者が見た幻の記事です。この幻も、イエスの弟子たちが体験したのと同じようなことが言われています。どんな幻かというと、ある谷に多くの骨が散らばっていた、というのです。おそらくここで、かつて戦いがあり、多くの兵士が殺されたのでしょう。しかし、それから相当時が経ち、もう骨は白骨化していた、というのです。しかし、その枯れた骨に、預言者が神の言葉を語りかけ、神の霊が吹きかけられると、それらは生き返り、多くの兵士となった、と言うのです。ただこれは、幻であって、実際にこのようなことが起こった、というのではありません。それでは、この幻が意味していることは何か、ということです。それは、その後に書かれているのですが、「枯れた骨」というのは、当時のイスラエルの人々の絶望状況を表しているのです。当時のイスラエルは、バビロニアという国に滅ぼされ、多くの人が捕虜として、敵の地に連れて行かれたのです。そこで人々は、絶望状況に陥ったのです。
しかし、この預言者が、その絶望している人々に神の言葉を語り、神の霊が働いてくれるように祈ったところ、生きる希望を与えられた、ということなのです。絶望が希望に変えられた、これが復活の体験なのです。まさに絶望状況にある人に希望が与えられた、これが復活の体験だったと思います。 「アンパンマン」という漫画の作者であるやなせたかしさんは、92歳で亡くなりましたが、彼の自伝的な本に『絶望の隣は希望です』というのがあります。彼は、次のような詩を作っています。
  絶望のとなりに
  だれかがそっと腰かけた
  絶望はとなりのひとに聞いた
  「あなたはいったい誰ですか」
  となりのひとはほほえんだ
  「わたしの名前は希望です」
これは、やなせさんの実際の体験から作られた詩です。彼は、漫画家になったのですが、40代、50代の頃は、代表作がなく、いろんな仕事をしながら、生計を立てていたそうです。そしてしばしば絶望状態に陥ったそうです。そんなとき、ある漫画家の先輩からこう言われたそうです。
「やなせ君、きみが落ち込む気持ちは分からんでもないが、人生はね、一寸先は光だよ。いいね、途中でやめちゃったら終わりだよ」と。ここでやなせさんは、先輩の「一寸先は光」と言われた言葉に、非常に励まされ、地道に漫画を書き続け、ついに「アンパンマン」で大ヒットした、ということです。これはもう、60歳になる頃だったということです。ここから、絶望のとなりに希望がある、という詩を書いたのです。イースターの時に弟子たちが体験したことも、先ほどのエゼキエル書の幻においても、絶望が希望に変えられたことが言われていました。私達も、絶望に陥ることなく、希望をもって人生を歩みたいと思います。それが、私たちにとっての「復活」と言えるのではないでしょうか。

 

礼拝後には、「振り返りとこれからの思い」というテーマで、中1、高1は新しい学校でどんな目標・夢をもって過ごしたいか、中2、3 高2は去年を振り返って、これからどんなことを頑張りたいか、やりたいか、高3はこれからの希望、夢、進路へ向けて考えていることなどを全校生徒が作文を書きました。その中から学年の代表者が作文発表を行いました。

それぞれの想いがつまった文章は、聞いている方も心を動かされました。
この想いを大切に、新年度を歩んでいってほしいと思います。

 

  2018-04-20 全校礼拝 マタイによる福音書25章14-18節  「プラスに考える」

本校では週3日、全校生とが集まって礼拝の時間をもっています。
本日は礼拝で話された内容を紹介します。

 

マタイによる福音書25章14-18節  「プラスに考える」
学院宗教主事 樋口進

皆さんが学校の帰りに財布を見て、五百円入っていたとします。
するとどう思うでしょうか。
ある人は、「あっ、五百円もあったのか。そしたらこれを有効に使おう」と考えて、何に使うかあれこれ考える人もいるでしょう。こういう人はプラスに考える人でしょう。
また、ある人は、「なんだ、五百円しかないのか。これでは何も出来ないわ」と言って、何もせずに家に帰る人もいるかも知れません。こういう人は、マイナスに考える人でしょう。
同じ事態に直面しても、それをプラスに考える人と、マイナスに考える人がいます。
そして、プラスに考える方が、より豊かな人生を送れると思います。

田原米子さんという人は、非常に数奇な運命を歩んだ方です。彼女は、16歳の時、非常に慕っていた母を脳溢血で亡くしました。非常に慕っていた母を突然失ってしまったことで、彼女は絶望的になり、人生に希望を見いだせず、ついに鉄道自殺を図りました。
人間は、長い人生の中で、絶望的になることもあります。そして、いっそのこと死んでしまいたいと思うこともあります。彼女は、東京・新宿駅で、ホームに入ってくる電車に身を投げたのです。
一命は取り留めたものの、両足と左の腕を切断しなければなりませんでした。彼女が病院で気付いた時には、右手に巻かれた包帯の先から、わずかに残った3本の指だけだったのです。
これを知った彼女は、「たった3本の指で何が出来るのか」という思いで、再び絶望状況に陥り、死ぬことばかりを考えていた、と言うことです。
しかしその後、熱心に病院にお見舞いに来てくれる宣教師とクリスチャンの青年から聖書の話を聞き、キリスト教に触れ、神の愛を知るようになりました。
そして、今までは、「自分にはたった3本の指しかない」とマイナスに捉えていましたが、「神は自分に3本の指を残してくれた」とプラスに捉えるようになったのです。
そして、神が自分に指を3本も残して下さった、この指で自分に出来ることをしよう、と思うようになったというのです。
そして田原米子さんは、それから病院に見舞いに来てくれていたクリスチャンの青年と結婚し、たった3本の指を一生懸命訓練して料理も上手にするようになりました。その後二人の女の子も与えられ、3本の指で子育ても立派にされたのです。そして、自分の体験を積極的に多くの人に講演して、特に障害のある人たちに多くの希望と力を与える活動もしてきました。
「3本の指しかない」とマイナスに捉えていた時は、死ぬことだけしか考えていなかったと言います。しかし、「神様が3本も指を残してくれた」とプラスに捉えるようになってからは、実に積極的な生き方に代わり、多くの人に希望と力を与える人生になったのです。
「3本しかない」とマイナスに捉えるのと「3本もある」とプラスに捉えるのでは、人生が大きく違ってくるのです。

先ほど読んだ聖書の箇所は、イエスが話された「タラントンのたとえ」という話の一部です。タラントンというのは、能力のことです。
そして、この譬えでは、3人の人がそれぞれ5タラントン2タラントン1タラントンを預けられた、と言われていますが、これは与えられた能力には差があるというのでなく、それぞれにはそれぞれ違った能力が与えられている、と言うことではないかと思います。
それを能力の差と捉えるならば、多く与えられていると思う人は優越感を抱き傲慢になります。
また、少ししか与えられていないと思う人は、劣等感に陥り、せっかく与えられたタレントを見失ってしまいます。それが、今日の譬えの1タラントンを預けられた人です。
1タラントンを預けられた人は、他の二人と比較して、自分には1タラントンしか与えられていないとマイナスに考え、それを活用せずに隠してしまった、と言うのです。しかし、1タラントンというのは、実は莫大なものなのです。本当は、1タラントンも与えられたのだ、とプラスに考えていい額なのです。

田原米子さんは、3本の指しか残されなかったのです。しかし彼女は、「3本の指しか」と捉えないで、3本も指があることは神の恵みだとプラスに捉えたのです。そして、3本の指を土の中に隠すのではなく、それを十分に用いて、素晴らしいことを行ったのです。
他の人と比較をするところからは、そのような積極的な行動は出てきません。そうではなく、神から自分に与えられている恵みに目を向けるのです。そうするとそれをプラスに捉えることができると思います。そうすると、素晴らしい人生が歩めると思います。

 

  2018-04-19 4月19日(木)新入生オリエンテーション合宿に出発しました。

本日から2日間、今年度夙川学院に入学した高校1年生と中学1年生がオリエンテーション合宿に出発しました。
天候もよく、穏やかな気候の中、学校に集合した新入生。
クラスで朝礼後、合宿先にむけてバスに乗り出発しました。
本日から1泊2日で、学習やアクティビティを行う予定です。

                  

 

  2018-04-16 4月16日(月)芸術鑑賞会が行われました。

4月16日(月)芸術鑑賞会が本校アリーナにて行われました。
今年度は大阪交響楽団の方に来ていただき、オーケストラの生演奏を披露していただきました。
目の前で聞く迫力のある演奏に、生徒達も聞き入っていました。

【 演 目 】
1:歌劇「フィガロの結婚」序曲
2:「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲
3:バレエ組曲「くるみ割り人形」より  ”小序曲、行進曲、花のワルツ”
4:ラデツキー行進曲
6:オーケストラの仲間たち(楽器紹介メドレー)
7:交響曲9番「新世界より」第4楽章
8:校歌

  
演奏中に拍手で参加する場面などあり盛り上がりました。

  
最後は全員で校歌斉唱。大迫力の校歌はまた違った印象を与えていただきました。

 

  2018-04-12 4月9日(月)始業式が行われました。

4月9日(月)、本校にて始業式がおこなわれました。

久しぶりの友人との再会に笑顔で「おはよう」と挨拶し合い、クラスや教室が変わり新しい気持ちで一年をスタートさせました。

始業式のあとは、2・3年生は1年生との対面式を行い、続いてでクラブ紹介を行いました。

   

クラブ紹介では、各クラブが活動場所などの紹介を行いました。中には実演をするクラブもあり、これから何のクラブに入ろうかと迷っている生徒にはイメージがつきやすかったのではないでしょうか。

1年生だけでなく、2年生などの入部も大歓迎です。運動部だけでなく、文化部も入部する生徒も多くなり活性化してきています。

ぜひ体験入部をしてそれぞれのクラブの特徴を知り、学校生活がより充実したものになればと思います。

 

  2018-04-07 4月7日(土)2018年度 入学式が挙行されました。

4月7日(土)本校にて、入学式が挙行されました。

高校は10:00~、中学は14:00~行われ、それぞれ真新しい制服に身をつつんだ新入生たちが夙川学院の門をくぐり、新たな生活をスタートさせました。
   

夙川学院での1日1日を大切に、勉強にクラブに頑張ってほしいと思います。

 

  2018-03-16 平成29年度三学期終業式

本日、平成29年度夙川学院三学期終業式が行われました。
 

1年の締めくくりと振り返りを行いました。
4月までの休み期間は、来年度の準備期間でもあります。新入生を明るく出迎えられるよう、全員が先輩としてこの期間にしっかり備えておきましょう。

 

  2018-03-12 3月10日(土)中学校卒業式が行われました。

3月10日(土)に、2017年度夙川学院中学校卒業式が執り行われました。
今年度は19人の生徒が夙川学院中学校を卒業しました。

《卒業証書授与》

《理事長祝辞、校長式辞》
 
《送辞、答辞》

在校生による送辞、卒業生による答辞では、中学3年生はほとんど全員が涙を流していました。
後輩と同級生の言葉から、中学校生活の思い出が頭をめぐったのでしょう。

《卒業生による歌、最後の花道の様子》

本校で3年間学んだことを忘れず、未来に向かって元気に羽ばたいてください。
新しい場所でも、皆さんが皆さんらしく、幸せに過ごせることを祈っています。

 

  2018-03-06 金融リテラシー講座(高校1、2年生)

高校1、2年生を対象に、金融リテラシー講座が行われました。

   

10年後、20年後の生活とお金の関係について、イオン銀行の方からゲームを通して学びました。
人生設計をしていく上で、今後の参考にしてもらいたいと思います。

 

   学年末指導・生徒指導講演会

本日、学年末指導生徒指導講演会が行われました。



学年末指導では、追試験・再試験についてのお話しや、”出席・成績・ルール”の3つの大切さについても聞きました。来年度はより多くのことに挑戦し、時間を有効活用してもらいたいと思います。

 

 
生徒指導講演会では、インターネットを使うときに気をつけることと考えることについて、スライドを使ってLINE会社の方に紹介して頂きました。
会話はキャッチボールと同じで、実際にキャッチボールをして体験してもらいました。
ネットは顔が見えないので、誤解されやすいものです。特に写真をあげるときは、二呼吸置いてからトラブルをおこさないように気をつけておきましょう。

 

  2018-02-20 百人一首大会が行われました。(高校1年生)

本日、高校1年生による百人一首大会が行われました。

全クラス総当りで試合を行い、終始白熱した様子でした。
下の句を覚えている人も多く、1人で50枚ほど札を取る人もいました。
1回戦は組、2回戦は組が多くの札を取って勝利しました。
また来年する時は、今以上に下の句を覚えて勝利を目指してもらいたいです。

 

  2018-02-19 2017年度 高等学校卒業式が行われました。

2月17日(土)、2017年度夙川学院高等学校卒業式が実施されました。


◇卒業証書授与

  ◇送辞

◇励ましの歌

◇答辞

◇頌栄、祝祷

◇生徒退場

84名の生徒達が巣立っていきました。
3年間の高校生活はたくさんの思い出でいっぱいとなったでしょう。
夙川学院で学んだことを胸に、それぞれ歩む道も輝かしい未来でありますように。
 
 

 

  2018-02-16 2月14日(水)卒業送別礼拝が行われました。

2月14日(水)に卒業送別礼拝が行われました。

本校は、中学3年生、高校3年生が卒業するにあたり、毎年キャンドルを灯す礼拝を行っています。
 「希望の光」と題して、樋口牧師が卒業生にメッセージを贈りました。

 メッセージの後には、生徒自治会がろうそくの火を付けにまわり、在校生は隣の人に火を付けていきました。ろうそくの火を静かに見つめ、何を思ったでしょうか。
 
 
 卒業していく生徒達の心の中に、夙川で過ごした日々の思い出と、未来への希望の光が輝き続けることを願います。

 

 「希望の光
エフェソの信徒への手紙5章6-8節  

今日は、中学高校の卒業送別礼拝です。
夙川学院では、卒業送別礼拝においてローソクに火を灯します。
これはもう70年くらいの歴史があります。

なぜ、こんなことをするのでしょうか。
ローソクの火は、光を象徴します。聖書においては、光は希望や救いを表します。
クリスマスにおいても、ローソクに火を灯しましたが、これは暗い世の中にキリストは、光としてこの世に来られ、私たちに希望や救いをもたらして下さったということ意味します。

皆さんは、真っ暗ということを経験したことがあるでしょうか。
真っ暗の中にいますと、本当に底知れない恐怖に陥ります。
皆さんは、停電を経験したことがありますか。
わたしの小さい頃は、よく停電がありました。
夜、停電になると、あたりが真っ暗になり、周りに何があるか一切分かりません。
ちょっとしたものにつまずいたりして、とても不安と恐怖に陥りました。
そして、しばらくして電気がつくと、ほっとしました。
旧約聖書の一番最初の所で、神は何もなかった所に、まず最初に光を造った、ということが書かれています。
これは、神はわたしたちに救いと希望を与えたということを言おうとしているのです。

卒業生は、今から、新しい進路に向かいます。
不安があるのではないでしょうか。
ローソクの火は、そのようなときに希望を持って歩んでください、というメッセージなのです。
不安を持ったとき、聖書を読んでください。
きっと、聖書の言葉は、皆さんに希望の光を与えてくれるでしょう。

それから、光には、もう一つ意味があります。
先ほどの聖書に、「光の子として歩みなさい」という言葉がありました。
これは、正しい歩みをする、ということです。人に恥じない正しい歩みです。
暗闇だと、何をしているのか分かりません。
不正なことは、闇として表現されます。
闇に支配されると不正が横行します。
先ほどの聖書に、「むなしい言葉に惑わされてはなりません」とありました。
闇に支配されると、空しい言葉に惑わされて、間違った方向に歩んでしまいます。
そのような所に行かないで正しい道を示してくれるのが光です。
光は正々堂々とした歩みです。
皆さんも、これからの歩みにおいて、正々堂々と正しい歩みをしてください。
その正しい歩みも、きっと聖書を読めば教えてくれるでしょう。

卒業する方々は、今後の歩みに不安や恐れがあるかも知れませんが、ローソクの光を思い出し、希望を持って、正しい道を歩んでください。
在校生の皆さんも、先輩にならって、希望を持って、勉学生活を続けて下さい。

そしてもう一つは、校長先生のもつ親火から次々と火が移されていきます。
これは、受け継いでいくということを意味しています。
皆さんは、夙川学院で学んで、上級生や先生方から夙川学院の伝統を受け継いできました。
夙川学院は、いまから137年前、増谷かめという18歳の女性が創立した学校です。
彼女は、生徒にこういう人になって欲しいという目標を持っていました。
それは、「徳の高い人を育てる」ということでした。
してこれは、夙川学院の教育理念として、ずっと継承されてきました。
最近ではそれに少し付け加えられ、「正義と平和を愛する徳の高い人を育てる」と言い表されました。
そしてその伝統を下級生にバトンタッチして行くのです。
下級生は、皆さんのよい伝統をしっかりと受け継いでいくのです。
そういう意味では、皆さんは、誇りを持って、自分に与えられた道を歩んでいって欲しいと思います。
そして、光を創造した神の恵みと希望を信じて、これからの道をしっかりと歩んでいっていただきたいと思います。

 

  2018-02-15 2月14日(水)バレンタインライブが行われました。

2月14日(水)、文化部によるバレンタインライブが実施されました。

本校在校生の、フォークソング部、ダンス部、軽音楽部、クッキング部が、卒業目前にした3年生のために発表を行いました。

フォークソング部

ダンス部

軽音楽部

各クラブ合同発表

クッキング部によるクッキー配布

これまで、お世話になった3年生の先輩のために、一生懸命練習していたのが印象的でした。
今週、2月17日(土)に卒業式が実施されますので、3年生の保護者様は、是非本校にお越しください。

 

  2018-02-14 2月13日(火)中学校の百人一首大会が行われました。

2月13日(火)に中学校の百人一首大会が行われました。

皆さん、目の色を変えて、一生懸命取り組んでいました。

競技かるたをテーマにした漫画『ちはやふる』が流行したこともあり、

「 ちはやふる神をもきかず竜田川 神代もしらずみずくぐるとは」の札を取るときには
大いに盛り上がりました。

優勝は、中学3年生の班でした!皆、楽しんでいたようで、何よりです。
また来年、しっかり下の句を覚えて、対戦したいですね。

 

  2018-02-13 高3体育科 修学旅行(北海道)4~6日目

高校3年生体育科が北海道へ修学旅行に行ってきましたので、4~6日目の様子を写真で振り返ります。

 
旭山動物園へ行き、丁度『サッポロ雪まつり』も実施されていたので、たくさんの雪像制作を見ました。

 
レクリエーションも盛り上がった1日となりました。

 
 この修学旅行で、普段味わうことのできない北海道の大自然を学ぶことができました。
最後の行事、卒業式に向けて、しっかりと準備していってください。

 

   2月6日(火)中学校音楽祭が行われました。

2月6日(火)に中学校の音楽祭が行われました。

 
生徒自治会が中心となって、プログラムが進められました。 

 
 琴の合奏、ソロ演奏、学年ごとの合唱、グループごとの合唱、中学1・2・3年生の合唱と
盛りだくさんのプログラムでした。皆さん、とても上手に演奏し、声を合わせて歌っていました。


中学3年生にとっては、最後の音楽祭でした。
親、先生、クラスメートへ感謝の気持を込めて、歌っていた様子がうかがえました。
また、クラスメートとの別れを思って、涙を流す生徒もいました。
 
 
今回の音楽祭が、皆さんにとって、心に残る思い出の一つになったら幸いです。 

 

  2018-02-08 2月6日(火)放送礼拝メッセージ「思いやり」

 
ィリピの信徒への手紙2:1-4節  「思いやり」
学院宗教主事 樋口進

今日は、「思いやり」と言うことについて考えてみましょう。
この思いやりというのは、聖書の精神でもあります。
今お読みいただいたフィリピの信徒への手紙2章3-4節に、「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。」とありました。
「自分のことだけでなく、他人のことにも注意をする」、これは思いやりの精神と言うことができます。
これはとても大切なことであると思います。「思いやり」というのを『広辞苑』で調べてみると、「自分の身に比べて、人の身について思うこと」とあります。別の言葉で言うと、「その人の立場に立って思う」ということです。
イエスの有名な言葉に、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなた方も人にしなさい。」というのがあります(マタイ7:12)。
これは最も大切な教えだということで「黄金律」と言われています。
「その人の立場に立って思う」ということはとても大切なことですが、それが中々出来ないというのもまた人間の悲しい現実です。これが出来れば、世の中は幸せになると思います。
今の日本は、このような「思いやり」の心に欠けているのではないでしょうか。
そのために心を痛めるような悲しい事件が、次から次へと起こっています。
人間はしばしば言葉に傷つきます。
人から言われた厭な言葉に落ち込むこともよくあります。
それがひどい場合には、自殺にも追い込まれます。
最近では、ツイッターなどインターネット上の書き込みで、個人を非難中傷したりと言うことがよくあります。
そして、そういうことを書かれた人は非常に苦しみます。
書く方は、軽い気持ちで書くのかもしれませんが、書かれた方は本当に死ぬ位つらい気持ちになります。実に思いやりの精神に欠けた行為だと思います。
こういうとき、思いやりの精神をもつことができれば、つまり、もし自分がこのようなことを書かれたら、と相手に気持ちに立つことができれば、こういうことは起こらないと思います。
旧約聖書の箴言12章18節に、「軽率なひと言が剣のように刺すこともある。知恵ある人の舌は癒す。」という言葉があります。
人に対する一言の言葉がひどく傷つけることもあります。また逆に一言の言葉が人を癒すこともあります。
精神科医で執筆活動もされている斉藤茂太という人の本に『いい言葉は、いい人生をつくる』というのがあります。
相手に対していい言葉をかけるなら、それはその人の人生もいいものにするということが書かれています。
人の立場に立って、「思いやり」のある生き方をしたいものです。
今日の聖書の言葉にあるように、私たちも「自分のことだけでなく、他人のこともよく考える」思いやりの精神をもちたいと思います。

 

 

  2018-02-06 高2 進路ガイダンス

1月30日(火)2月6日(火)、高校2年生を対象に、進路ガイダンスが実施されました。

各講座に分かれて話を聞いていました。
2回の進路ガイダンスで学んだことを進路実現に役立ててください。

 

  2018-02-05 1月30日(火)放送礼拝メッセージ「結果を出せなくても」

フィリピの信徒への手紙2:25-30節  「結果を出せなくても
学院宗教主事 樋口進

今の世の中は、業績主義です。
入学試験はまずそうですが、企業もまた、激しい業績主義の世界です。
何か業績を上げなければ、尊重されず、出世も出来ません。
皆さんも、そうです。
一生懸命勉強して、よい結果を出すと評価されます。
スポーツでもそうです。
一生懸命練習して、結果を出せば評価されます。
しかし、いろいろな事情によって業績を上げられない場合もあります。
一生懸命努力していても、途中で病気になったり、けがをしたりすると、結果を出せない場合もあります。
そしてそういうとき、人から評価をされません。
これが、業績主義の社会です。
この業績主義の社会では、目に見えて何か具体的に業績をあげないと評価されないのです。
ただ忠実に仕事を行っている、真面目に働いている、というだけでは駄目なのです。
この業績社会は、あくまで自分の業績を上げることが至上命令です。
そこからは他人を思いやるという態度は出てきません。
否、他人を犠牲にしてまで、自分の業績を上げようとします。
しかし、たとえ業績を出すことができなくても、その人自身の人格、その人自身の気持ちを見てくれて、評価してくれるということもあります。
今日読んでいただいたフィリピの信徒への手紙は、パウロという人が牢獄で書いた手紙です。
パウロは、キリスト教をいろいろな地方に伝えた人ですが、その伝えているときに、権力者に誤解されて、捕らえられ、牢獄に入れられたのです。
当時の牢獄の生活は、苛酷で食事も十分に与えられないようなこともありました。
しかし、その囚人の世話をする人を送るということもできたのです。
そこで、パウロが牢獄に捕らえられていることを聞いたフィリピの教会の人たちは、パウロの世話をする人として、25節にあるエパフロデトという人を送ったのです。
このエパフロデトという人は、とてもパウロを尊敬し、一生懸命パウロの世話をしたのですが、途中で病気にかかり、パウロの世話をできなくなっただけでなく、逆にパウロにいろいろ世話にならなければならなくなりました。
先ほどいった、業績をあげることができなくなったのです。
そこで、エパフロデトを送ったフィリピの教会の人たちは、エパフロデトを全く評価せず、役立たずとして、非難したのです。
しかし、パウロは、このエパフロデトの気持ちを評価して、彼は病気のために何の働きもできなくなったが、かれの気持ちを評価すべきだ、といって弁護するために、この手紙を書いたのです。
パウロは、自分の世話をすることができなくなり、かえって足手まといとなったエパフロデトを、役立たずとして非難するのでなく、エパフロディトの気持ちを見て、かれの人柄を評価して、深い配慮を示します。
パウロは、こういう人々こそ尊重しなければならないのだ、と主張します。
こういう人こそ、自分の弱さを知り、謙遜を身につけ、パウロを心から尊敬したのだ、と評価したのです。
パウロ自身にも一つの持病があり、それを自分で「一つのとげ」と言っていますが、それがかえって恵みであった、と話しています。
「キリストのわざのために命をかけ」とあります。
エパフロディトは、そういう業績主義ではなく、純粋な気持ちを第一にしていたのである、と。
パウロは、エパフロディトに深い配慮をもって弁護しているのですが、それはもしかすると業績主義の目でもってエパフロディトを何の役にも立たなかったではないかと批判的な目で見るかも知れないフィリピの人々に、彼は最も大切なもの、純粋な気持ちをもっていた、こういう人達こそ尊重しなければならない、ということを言っているのです。
業績主義の社会に生きている皆さんも、何かの事情で思うような業績を上げられなくても、決して落胆せず、皆さんの純粋な気持ちを評価してくれる人も必ずいるということを思って勇気を出して欲しいと思います。

 

   高3体育科 修学旅行(北海道)

2月2日(金)~7日(水)の期間、高校3年生体育科が修学旅行に行っていますので、途中経過をお伝えします。

 

無事に北海道に到着し、全員参加で、スキー講習を行っているそうです。
修学旅行の三日目が経過し、大きい怪我も病気もなく過ごしています。
四日目以降には、旭山動物園や札幌市内研修など、多くの予定があります。少しでも多く思い出としてください。

 

  2018-01-31 第49期生美術科卒業制作展 最優秀賞作品のご紹介

美術科第49期生卒業制作展が西宮市立市民ギャラリーにて開催されています。

卒業制作展が下記の通り実施されています。

開催期間:2018年1月30日(火)~2月4日(日)
開催時間:AM10:00~PM5:00 (最終日PM3:30まで)
開催場所:西宮市立市民ギャラリー


今回は、最優秀賞となった作品と生徒のコメントをご紹介します。

<絵画(油画)>Let it be


【コメント】
この船の船長、操縦士は私です。児童で船体(身体)をつくり、中学で船の操縦(学び)を覚え、旅立つ準備をします。中学を終え、船が立ち、高校生活は、その船を操縦しながら地図を広げ、何処へ目指すか考えます。船のデザインは、私の制靴(右)です。はじめての革靴(制靴)を履いた時の、ワクワク感は今でも覚えています。今ではちょっと窮屈で、踵がすり減ってしまいましたし、きっともう履くことがなくなると思います。いろんな思い入れがある物なので、靴を船体にしてみました。船の後ろに積んでいる木は、ミモザという木です。お世話になっている祖父母の家に植えている、ひときわ大きな木を、希望にたとえて描きました。敬愛の意味も込めています。雲は悩みや不安など、「壁」として描きました。船の行く手を阻むように、大きく、分厚いです。実はこの雲は、描くのに結構苦労して、はじめは水のような表現になってしまいました。何度も何度も描き直すうちに、私にとって理想の雲に収まったのです。船体はモノクロです。何故そうしたかというと、まだ色ずくのははやいと思ったからです。大学先は決まったものの、私は何を目指しているのか、定まっているわけではありません。まだまだ悩みを抱えたままなので、モノクロにしました。

 


他にも生徒出展作品が西宮市立市民ギャラリーにございますので、是非とも足を運んでみてください。


 ※お車でお越しの際は、大谷記念美術館駐車場をご利用ください。
たくさんのご来場お待ちしております。

 

 

  2018-01-25 1月22日(火)放送礼拝メッセージ「小さい愛の行為」


マタイによる福音書25章35-40節  「小さいの行為」
学院宗教主事 樋口進

イエスの生涯の歩みは、「最も小さい者に愛を示された」と総括できるのです。
私たちは、いろんな人に評価されています。
そして、評価する人によって、評価がいろいろ違うのです。
今日読んだ話は、キリストの評価、と言えるでしょう。
そして、キリストの評価は、世間一般の評価とは違うのです。
この世においては、一国の総理大臣のような高い地位についた人、出世した人、財産を積んだ人、いろんな業績を上げて有名になった人などが評価されるかもしれません。ノーベル賞などは、最大の評価かもしれません。

さて今日の話では、キリストは、ほんの小さな愛の行為をした人を評価されるのです。
40節には、つぎのようにあります。。

そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟である この最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』

ここでキリストは、最も小さい者のひとりにしたのは、わたしにしてくれたのだ、と言って評価しています。
しかし、この人は、キリストに評価された行為には全然気づいていないのです。

37-39節には次のようにあります。

すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』

すなわち、この人にとっては、自分のしたことが特別愛の行為だとは意識されておらず、それが当然のこととしているに過ぎないのです。
親が子どもを愛する場合、そうでしょう。
別に自分は特別愛の行為をしているという意識はありません。
子どものことを思って、すべきことをしているに過ぎないのです。
今日のテキストにおいても、キリストにほめられている人は、王に対して小さな愛の行為を指摘されるまで、自分がそういうことをしたことに気づいていないのです。
今日の所では、そういう自己主張ではありません。
自分でも忘れてしまっていることを、神がご覧になっていて、評価してくださっている、というのです。
ここで、王から祝福を受けた人は、指摘されなければ自分でも気がついていないのです。
空腹な人に食物を与え、病気の人を見舞い、獄に捕らえられている人を見舞うといったことです。
貧しい人、困っている人に、自分のできる小さなことをしただけです。

ここで思い出すのは、トルストイの「靴屋のマルティン」という話です。
このマルティンは、貧しい靴屋でした。彼の家族は、次々と亡くなり、とうとうマルティン一人になってしまいました。
ある時、マルティンは夢でイエスの声を聞きました。
それは、イエスがクリスマスにマルティンの家を訪ねるということでした。
クリスマスの日、マルティンはごちそうを用意して窓から外を見ながらイエスの来るのを待っていました。
そこを雪掻き人夫が疲れた様子で通りかかりました。
マルティンは、その姿を見て、可愛そうに思い、その人を家に入れて、温かいお茶を1杯飲ませてあげました。
そうすると、その人は元気になって出ていきました。
その次に赤ん坊を抱いた貧しい身なりの母親を見ました。
また、マルティンは可愛そうに思い、その親子を家の中に入れ、パンとスープをあげ、赤ん坊にはミルクを飲ませました。
親子は喜んで帰っていきました。
次に、マルティンはリンゴを盗んで逃げてくる貧しい子どもを見て、その盗んだリンゴのお金をリンゴ売りに代わって払ってやりました。
結局、この話では、イエスはこの貧しい3人の人に姿を変えてマルティンの所にやってきた、というのです。
この貧しい3人にほんの小さな愛の行為をしたマルティンは、キリストによって、今日のテキストにあるように、

「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」と言って、祝福されたのです。

ここで言われているのは、ほんの小さな愛の行為です。
全財産をなげうつとか、生命を危険にさらせて何かをする、という大げさなことではありません。
困っている人や貧しい国に多額の寄付をする人がいます。
それは非常に偉いと思いますが、自分の名誉心からしている人もいます。
いかに自分が大きな慈善事業をしているかという宣伝をし、多くの人から名誉を得るのです。
わたしたちはここで、ほんの小さな愛の行いをする者に、とても大きな祝福を与えてくださる神のことを思うべきです。
インドで貧しい人に小さな愛の行為を行ったマザー・テレサもこのキリストの言葉に従って、小さな愛の行為を行ったのだと思います。
私たちも小さな愛の行為をすることによって、キリストに評価される者になりたいと思います。

 

  2018-01-23 第49期生 美術科卒業制作展のご案内

美術科第49期生卒業制作展が下記の通り実施されます。


開催期間:2018年1月30日(火)~2月4日(日)
開催時間:AM10:00~PM5:00 (最終日PM3:30まで)
開催場所:西宮市立市民ギャラリー
 


 ※お車でお越しの際は、大谷記念美術館駐車場をご利用ください。


美術科生最後の制作展となります。たくさんのご来場、お待ちしております。

 

   高1 進路ガイダンス

高校1年生を対象に、進路ガイダンスが実施されました。

各講座に分かれて真剣に話しを聞いていました。
この進路ガイダンスにて学んだことを、
今後の進路決定に役立ててください。

 

   1月16日(火)放送礼拝メッセージ「熱心な求め」

ルカによる福音書11章5-9節  「熱心な求め」
学院宗教主事 樋口進


今日の話は、イエスのたとえ話です。
たとえには、イエスが伝えたい目的があります。
この譬えでは、「熱心な求めは必ず聞かれる」ということが言いたいのです。
この譬えでイエスが言わんとすることは、
9節の「
求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」ということです。

そしてそれを言うために、この譬え話しをされたのです。
このたとえ話は、少し変な話かも知れません。
真夜中に友達の所にパンを貸してくれ、とたのみに行った、というのです。
真夜中にパンを借りに行くというのは、はなはだ非常識なことではないか、と思われるでしょう。
何もわざわざ真夜中に借りに行かなくても、パンがなければ、一晩辛抱して、次に日に行けばいいではないか、と思われます。
友達ということをいいことに迷惑をかける人もいます。
友達ならある程度の迷惑はかけたり、かけられたりするものです。
パンを三つ貸す位のことなら、何でもないかも知れませんが、それを真夜中に借りに行くのは、いささか非常識だと思われます。良識ある者なら、そのようなことは差し控えるでしょう。
この当時のパレスチナの普通の庶民の家は、お粗末なもので、一つの部屋に家族全員で寝たのです。
真ん中にいろりのようなものがあって、その回りにござのようなものを敷いて、地面にそのまま寝たのです。家族は肩を寄せ合って寝たのです。
したがって
、皆が寝込んだ時に、自分がごそごそ起きて用事をすると、家族全員を起こしてしまいます。
そして、朝は早くから起きて仕事をしなければなりません。夜はぐっすり寝る必要がありました。
そこでこの友達は、7節のように言いました。
面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。
起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。
今ここで起きてごそごそすると、家族全員の睡眠を妨げてしまう。そんな面倒はかけないでくれ、と言うのです。もっともな話です。 
普通ならここで引き下がります。
多少の迷惑を掛けたりかけられたりするのが友達かも知れませんが、そこにも限度というものがあります。
しかし、この男は、なおドアをたたき続けて求めたので、とうとうこの家の主人は根負けして、パンを与えた、というのです。
この男は、その友達に恐らく、しつこい奴だ、迷惑をかける奴だ、といやがられたでしょう。
恐らく嫌な顔をされ、無愛想にパンを貸してもらったことでしょう。
それ位なら、いっそ借りなければよかった、と私達には思えます。
この男は、なぜ、そんなにいやがられてまでも、真夜中にパンを借りに行ったのでしょうか。
彼は、5-6節の所で次のように言っています。
友よ、パンを三つ貸してください。旅行中の友達がわたしのところに立ち  寄ったが、何も出すものがないのです。」
実は彼は、自分のためにパンを借りに来たのではありませんでした。
彼の所に、遠くから友達が訪ねて来たからでした。
その旅人は、夜、彼の所に到着したのです。
夜中に旅人が訪ねて来るというのもおかしな話かも知れません。
しかしこの時代のパレスチナでは、そういうことも珍しい事ではありませんでした。
パレスチナの夏は、昼間はとても暑く、太陽の照っている時、旅をすれば病気になるので、日が沈んでから、夕方に旅をするということがよくありました。ここでの旅人も恐らくそうだったのでしょう。
そして、この男の家に夜中に着いてしまったのでしょう。
の男も実は、訪ねて来た旅人に大変迷惑をかけられたのでした。
しかし彼は、この旅人を迷惑がって追い払うのでなく、家に入れて泊めようとしたのです。
それだけでなく、お腹をすかしているこの旅人に食べる物を出そうとしたのです。
泊めてやるだけでも十分なのに、その上食事を出そうとしたのです。
しかし自分の家に何も出すものがなかったので、真夜中ではありましたが、友達の所にパンを借りに行ったのです。
この男は何と友達思いでしょうか。
こういうのが真の友情というのではないでしょうか。
しかしこのたとええ話でイエスは、麗しい友情について教えようとされたのではありません。
このたとえのポイントは、8節にあります。
しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。」

ここで言われているのは、明らかに友情ではありません。
「友人だからというのでなく、しきりに願うので」とあります。
これは、友情の限界を超えた所での神を動かす力とでも言うことができます。
熱心な求めということです。
あきらめない、ということです。
ある場合は、人に迷惑をかけてでも、求めるべきものがあるのです。
もちろん、迷惑をかけると言うことは、褒められたものではありませんが。
子供を愛する親であれば、自分の子が病気したならば、真夜中であっても、医者に頼みに行くでしょう。
私達は、このような熱心な、というよりは執拗求めというのを余りしません。
そんなに熱心に求めなくても、大方のものは満たされている、ということもあるかも知れません。
あるいは、求めてもかなわないものはかなわない、と簡単に諦めてしまっているのかも知れません。
オリンピックでメダルをもらった選手は、しばしば、最後まで諦めなかったのでメダルを取ることができました、と言うことを言っていました。
イエスはここで、「熱心な求めは必ず聞かれる」と言うことを言っているのです。

 

 

  2018-01-17 神戸市シェイクアウト訓練

本日、神戸市シェイクアウト訓練が行われました。
 
 

大規模地震が起こり、校内で火災が発生したという状況を想定し、防災訓練を行いました。
担任の指示に従い、生徒たちは静かな状態でアリーナに集合し、安全確認を行うことができました。
今日の訓練をいかし、地震発生時に備えられるようにしっかり覚えておきましょう。

 

   1月16日(火)赤ちゃん先生プロジェクトが行われました。

1月16日(火)、赤ちゃん先生プロジェクトが中学生を対象に行われました。
 
今日は3名のお母さん講師の方から実際の妊娠や出産のお話をしてもらいました。
 
皆、それぞれ真剣に話を聞いていました。
 

その後、触れ合い体験として、室内・室外で育児体験をしました。
 
 
赤ちゃん先生プロジェクトは、今回が最後でした。
これまで体験してきた様々なことを通して、子育ての大変さ、母親・父親の有難さを実感してもらえたらと思います。
 
 

 

  2018-01-11 スキー実習(高校1・2年生グローバルアスリートコース)

1月8日(月)~13日(土)の期間、高校1・2年生グローバルアスリートコースがスキー実習に行っていますので、途中経過をお伝えします。
 


1月9日(火)から実習が始まり、本日は実習3日目となります。
2年生は3級の取得、1年生は4級の取得に向けて一生懸命取り組んでいるそうです。

 

  2018-01-09 2017年度 3学期始業式

本日、本学院アリーナにて3学期始業式が行われました。

 

 

来年度からの新しい生徒自治会役員が、壇上にて紹介されました。

明日から授業が始まります。インフルエンザが流行していますが、体調管理に気をつけて、元気な姿で登校してくださいね。