月間アーカイブ: 2018年4月

  2018-04-28 学級懇談会・進路説明会が行われました。

本日、本校にて学級懇談会が行われました。
高校3年生は学級懇談会に先立って、進路説明会も行われました。

      

クラスの保護者が集まって話せる貴重な機会とあって、たくさんの保護者の方が参加してくださいました。
ありがとうございました。

 

  2018-04-27 全校礼拝 ローマの信徒への手紙5章1~5節 「苦難から希望へ」

2018年4月27日 全校礼拝が行われました。

宗教主事の樋口進学院長が、
ローマの信徒への手紙5章1-5節  「苦難から希望へ」
と題して、お話をしてくださいました。

 皆さんは、何か苦難にぶつかったことがあるでしょう。そういう時、どうしますか?
そういう時には神や仏に祈ったりと言うことはないでしょうか。「困った時の神だのみ」という言葉があります。何とかして、その苦しみから救われたいと祈るのではないでしょうか。

 しかし、先程読んで頂いたローマの信徒への手紙5章3節で、パウロは「苦難をも誇りとします」と言っています。以前に訳された口語訳聖書では、「患難をも喜んでいる」と訳されています。患難とか苦難は、私達にとっては、決して歓迎すべきものではないでしょう。少なくとも、それを喜んだり、誇りにしたりするものではないでしょう。そういう事態は出来るだけ避けたいし、もし起こっても出来るだけ早く取り除いて欲しい、と思うものではないでしょうか。そして、そのために神仏に願ったりするのです。

 しかしここでパウロは、「苦難をも誇りとします」と言っています。どうしてでしょうか。それは、その苦難はそれに終わらず、希望へと通じていることを信じていたからです。それは、神を信じ神に委ねることから与えられる希望です。

 皆さんもよくご存じだと思いますが、星野富弘という人がいます。彼は元々、運動のすごく出来る人でした。そこで、体育の先生になろうと思って、群馬大学の体育科に入り、そこを無事卒業して、念願の通り群馬県の高校の体育の教師になりました。
 
そして、2カ月たったある日、クラブ活動の指導中、器械体操をしていて、誤って墜落し、首の骨を折り、肩より下がすべて麻卑するという障害を負いました。念願の体育の教師になったのもつかの間、たった2カ月で、不治の病にかかったのです。星野さんは、もう目の前が真っ暗になってしまいました。
首の骨の所には、体中の神経をつかさどる中枢があって、彼の場合、肩から下に行く神経がやられてしまったので、手も足も一切動かすことが出来なくなりました。ベッドに横になって、ただ天井を見つめるだけの生活でした。
 
ただ、首から上の神経はやられなかったので、口を動かしたり、目で見たり、耳で聞いたり、また頭で考えたり、ということは出来ました。目で本を読むことは出来たので、最初はお母さんに本を持ってもらって、後には本を乗せる道具を作ってもらって本を読みました。
 
彼を励ます人もたくさんいて、病院にお見舞いに来ては、励まし、本も置いていきました。そんな中で、教会の人が聖書を置いて行きました。星野さんは、聖書を所々読むうちに先程のローマの信徒への手紙5章3~5節を読んだのです。口語訳聖書で読みました。そこには次のようにありました。

「それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終ることはない。」

 これを読んだ時、彼は自分は手も足も動かないけれども、自分にも何か希望があるように思えてきました。そこで、たった一つ動かすことのできる口を使って、何かをしようとしました。それは、口にサインペンをくわえて、字や絵を描くことでした。そして、本当によく努力をして、字を書くことを拾得しました。また、絵も描きました。そして、今や何冊もそのような絵と詩の書かれた本が出されています。こんな素晴らしい絵を口で描いているとは信じられないほどです。人間、希望に生きることが、いかに大きな力を与えてくれるか、ということが分かります。

 このローマの信徒への手紙を書いたパウロという人も、実にいろいろな苦難に遭遇しましたが、その苦難自体を見て絶望的な思いを抱くのでなく、その苦難は忍耐を通して、希望へとつながっていることを確信したがゆえに、大きな働きをなすことが出来たのです。
 
苦難を経験しない人はいないと思います。私たちも長い人生の中に置いて、多かれ少なかれ何らかの苦難に遭遇します。あるいは皆さんの中にも、現在何らかの苦難を抱いている人もいるかも知れません。その時に、絶望に打ちひしがれてしまうのでなく、忍耐をしつつ、その中になんらかの希望を見いだして、希望に生きる者でありたいと思います。

 

 

 

  2018-04-25 イースター礼拝が行われました。

4月24日(火)6限 本校にてイースター礼拝が行われました。

・イースター(復活祭)とは・・・
十字架で死んだイエスが、3日目の早朝に復活したという出来事を記念する日です。
移動祝日(年によって日が異なる祝日のこと)で、毎年春分の日の後の最初の満月の次の日曜日と決められています。今年は、4月1日でした。
イースターの前日までの日曜日を除く40日間を受難節(レント)といい、イエスの十字架の苦難や死の意味について(ひいては自分の周りにもある苦難や死についても)心静かに考える期間を過ごします。それを考えることは、生きることの意味を考えることにつながります。最近では、様々な場所でイースターを春のお祭りとして祝うことも多くなってきていますが、正確にはまだイースターではなく、レントの期間ということになります。
イースターには、新しい命の象徴(命が生まれる)としてゆで卵をデコレーションしたイースターエッグを飾りお祝いします。その卵はイースターの前日にイースターバニーが運んでくる(ウサギは多産の象徴である)という伝説があるため、卵とうさぎがお祝いに使われます。キリスト教の三大祭りの一つでクリスマスより大切にされています。
神がイエスを死から復活させたということは、具体的には、死に象徴される悲しみ、不安、絶望から、喜び、安心、希望へと神が転換させてくれることを信じて希望をもって生きよう、というメッセージがあります。

 

聖書    エゼキエル書37章1~10節(旧1357 ページ)
メッセージ    「絶望から希望へ」 樋口 進 学院長

今日はイースター礼拝です。今日はイースター礼拝です。イースターは、キリスト教の三大祭りの一つです。
イースターは、年によって日が違うのですが、今年は、4月の1日でした。ちなみに来年は、4月21日にあたります。年によっては3月の末になることもあります。とにかく、イースターは、イエス・キリストの復活を記念する日です。復活とは、死んだ人が生き返ることです。そんなこと私たちの頭では考えられないことです。これを科学的に証明する方法はありません。具体的にどういうことが起こったのか、それは聖書にもはっきりとは書かれていないのです。書かれているのは、それぞれの弟子たちが、復活のイエスに出会ったというそれぞれの体験が書かれているのです。それぞれが違う体験をしているのです。ある人は、道を歩いている時に復活のイエスに出会ったのだが、最初のうちはそれが誰か分からなかった。だが、一緒に食事をしている時に、それがイエスだと分かった、しかしその瞬間に消えてしまったというのです。
しかし、共通して言えるのは、その体験によってみんな希望が与えられた、ということです。弟子たちにとって、イエスが一番大事であり、一番頼りにしていたのです。そのお方が、突然、十字架にかけられて殺されてしまったのです。ここで、彼らはみんな、絶望状態に陥ったのです。しかし、復活のイエスに出会うという体験をすることによって、絶望が希望に変えられたのです。そして、イエスの教えていたことの意味がはっきりと分かったというのです。そして、そのイエスの教えを他の人に伝えていく力が与えられたというのです。 さて、今日お読みしたのは、旧約聖書のエゼキエル書です。これは、イエスよりも600年位前の預言者が見た幻の記事です。この幻も、イエスの弟子たちが体験したのと同じようなことが言われています。どんな幻かというと、ある谷に多くの骨が散らばっていた、というのです。おそらくここで、かつて戦いがあり、多くの兵士が殺されたのでしょう。しかし、それから相当時が経ち、もう骨は白骨化していた、というのです。しかし、その枯れた骨に、預言者が神の言葉を語りかけ、神の霊が吹きかけられると、それらは生き返り、多くの兵士となった、と言うのです。ただこれは、幻であって、実際にこのようなことが起こった、というのではありません。それでは、この幻が意味していることは何か、ということです。それは、その後に書かれているのですが、「枯れた骨」というのは、当時のイスラエルの人々の絶望状況を表しているのです。当時のイスラエルは、バビロニアという国に滅ぼされ、多くの人が捕虜として、敵の地に連れて行かれたのです。そこで人々は、絶望状況に陥ったのです。
しかし、この預言者が、その絶望している人々に神の言葉を語り、神の霊が働いてくれるように祈ったところ、生きる希望を与えられた、ということなのです。絶望が希望に変えられた、これが復活の体験なのです。まさに絶望状況にある人に希望が与えられた、これが復活の体験だったと思います。 「アンパンマン」という漫画の作者であるやなせたかしさんは、92歳で亡くなりましたが、彼の自伝的な本に『絶望の隣は希望です』というのがあります。彼は、次のような詩を作っています。
  絶望のとなりに
  だれかがそっと腰かけた
  絶望はとなりのひとに聞いた
  「あなたはいったい誰ですか」
  となりのひとはほほえんだ
  「わたしの名前は希望です」
これは、やなせさんの実際の体験から作られた詩です。彼は、漫画家になったのですが、40代、50代の頃は、代表作がなく、いろんな仕事をしながら、生計を立てていたそうです。そしてしばしば絶望状態に陥ったそうです。そんなとき、ある漫画家の先輩からこう言われたそうです。
「やなせ君、きみが落ち込む気持ちは分からんでもないが、人生はね、一寸先は光だよ。いいね、途中でやめちゃったら終わりだよ」と。ここでやなせさんは、先輩の「一寸先は光」と言われた言葉に、非常に励まされ、地道に漫画を書き続け、ついに「アンパンマン」で大ヒットした、ということです。これはもう、60歳になる頃だったということです。ここから、絶望のとなりに希望がある、という詩を書いたのです。イースターの時に弟子たちが体験したことも、先ほどのエゼキエル書の幻においても、絶望が希望に変えられたことが言われていました。私達も、絶望に陥ることなく、希望をもって人生を歩みたいと思います。それが、私たちにとっての「復活」と言えるのではないでしょうか。

 

礼拝後には、「振り返りとこれからの思い」というテーマで、中1、高1は新しい学校でどんな目標・夢をもって過ごしたいか、中2、3 高2は去年を振り返って、これからどんなことを頑張りたいか、やりたいか、高3はこれからの希望、夢、進路へ向けて考えていることなどを全校生徒が作文を書きました。その中から学年の代表者が作文発表を行いました。

それぞれの想いがつまった文章は、聞いている方も心を動かされました。
この想いを大切に、新年度を歩んでいってほしいと思います。

 

  2018-04-20 全校礼拝 マタイによる福音書25章14-18節  「プラスに考える」

本校では週3日、全校生とが集まって礼拝の時間をもっています。
本日は礼拝で話された内容を紹介します。

 

マタイによる福音書25章14-18節  「プラスに考える」
学院宗教主事 樋口進

皆さんが学校の帰りに財布を見て、五百円入っていたとします。
するとどう思うでしょうか。
ある人は、「あっ、五百円もあったのか。そしたらこれを有効に使おう」と考えて、何に使うかあれこれ考える人もいるでしょう。こういう人はプラスに考える人でしょう。
また、ある人は、「なんだ、五百円しかないのか。これでは何も出来ないわ」と言って、何もせずに家に帰る人もいるかも知れません。こういう人は、マイナスに考える人でしょう。
同じ事態に直面しても、それをプラスに考える人と、マイナスに考える人がいます。
そして、プラスに考える方が、より豊かな人生を送れると思います。

田原米子さんという人は、非常に数奇な運命を歩んだ方です。彼女は、16歳の時、非常に慕っていた母を脳溢血で亡くしました。非常に慕っていた母を突然失ってしまったことで、彼女は絶望的になり、人生に希望を見いだせず、ついに鉄道自殺を図りました。
人間は、長い人生の中で、絶望的になることもあります。そして、いっそのこと死んでしまいたいと思うこともあります。彼女は、東京・新宿駅で、ホームに入ってくる電車に身を投げたのです。
一命は取り留めたものの、両足と左の腕を切断しなければなりませんでした。彼女が病院で気付いた時には、右手に巻かれた包帯の先から、わずかに残った3本の指だけだったのです。
これを知った彼女は、「たった3本の指で何が出来るのか」という思いで、再び絶望状況に陥り、死ぬことばかりを考えていた、と言うことです。
しかしその後、熱心に病院にお見舞いに来てくれる宣教師とクリスチャンの青年から聖書の話を聞き、キリスト教に触れ、神の愛を知るようになりました。
そして、今までは、「自分にはたった3本の指しかない」とマイナスに捉えていましたが、「神は自分に3本の指を残してくれた」とプラスに捉えるようになったのです。
そして、神が自分に指を3本も残して下さった、この指で自分に出来ることをしよう、と思うようになったというのです。
そして田原米子さんは、それから病院に見舞いに来てくれていたクリスチャンの青年と結婚し、たった3本の指を一生懸命訓練して料理も上手にするようになりました。その後二人の女の子も与えられ、3本の指で子育ても立派にされたのです。そして、自分の体験を積極的に多くの人に講演して、特に障害のある人たちに多くの希望と力を与える活動もしてきました。
「3本の指しかない」とマイナスに捉えていた時は、死ぬことだけしか考えていなかったと言います。しかし、「神様が3本も指を残してくれた」とプラスに捉えるようになってからは、実に積極的な生き方に代わり、多くの人に希望と力を与える人生になったのです。
「3本しかない」とマイナスに捉えるのと「3本もある」とプラスに捉えるのでは、人生が大きく違ってくるのです。

先ほど読んだ聖書の箇所は、イエスが話された「タラントンのたとえ」という話の一部です。タラントンというのは、能力のことです。
そして、この譬えでは、3人の人がそれぞれ5タラントン2タラントン1タラントンを預けられた、と言われていますが、これは与えられた能力には差があるというのでなく、それぞれにはそれぞれ違った能力が与えられている、と言うことではないかと思います。
それを能力の差と捉えるならば、多く与えられていると思う人は優越感を抱き傲慢になります。
また、少ししか与えられていないと思う人は、劣等感に陥り、せっかく与えられたタレントを見失ってしまいます。それが、今日の譬えの1タラントンを預けられた人です。
1タラントンを預けられた人は、他の二人と比較して、自分には1タラントンしか与えられていないとマイナスに考え、それを活用せずに隠してしまった、と言うのです。しかし、1タラントンというのは、実は莫大なものなのです。本当は、1タラントンも与えられたのだ、とプラスに考えていい額なのです。

田原米子さんは、3本の指しか残されなかったのです。しかし彼女は、「3本の指しか」と捉えないで、3本も指があることは神の恵みだとプラスに捉えたのです。そして、3本の指を土の中に隠すのではなく、それを十分に用いて、素晴らしいことを行ったのです。
他の人と比較をするところからは、そのような積極的な行動は出てきません。そうではなく、神から自分に与えられている恵みに目を向けるのです。そうするとそれをプラスに捉えることができると思います。そうすると、素晴らしい人生が歩めると思います。

 

  2018-04-19 4月19日(木)新入生オリエンテーション合宿に出発しました。

本日から2日間、今年度夙川学院に入学した高校1年生と中学1年生がオリエンテーション合宿に出発しました。
天候もよく、穏やかな気候の中、学校に集合した新入生。
クラスで朝礼後、合宿先にむけてバスに乗り出発しました。
本日から1泊2日で、学習やアクティビティを行う予定です。

                  

 

  2018-04-16 4月16日(月)芸術鑑賞会が行われました。

4月16日(月)芸術鑑賞会が本校アリーナにて行われました。
今年度は大阪交響楽団の方に来ていただき、オーケストラの生演奏を披露していただきました。
目の前で聞く迫力のある演奏に、生徒達も聞き入っていました。

【 演 目 】
1:歌劇「フィガロの結婚」序曲
2:「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲
3:バレエ組曲「くるみ割り人形」より  ”小序曲、行進曲、花のワルツ”
4:ラデツキー行進曲
6:オーケストラの仲間たち(楽器紹介メドレー)
7:交響曲9番「新世界より」第4楽章
8:校歌

  
演奏中に拍手で参加する場面などあり盛り上がりました。

  
最後は全員で校歌斉唱。大迫力の校歌はまた違った印象を与えていただきました。

 

  2018-04-12 4月9日(月)始業式が行われました。

4月9日(月)、本校にて始業式がおこなわれました。

久しぶりの友人との再会に笑顔で「おはよう」と挨拶し合い、クラスや教室が変わり新しい気持ちで一年をスタートさせました。

始業式のあとは、2・3年生は1年生との対面式を行い、続いてでクラブ紹介を行いました。

   

クラブ紹介では、各クラブが活動場所などの紹介を行いました。中には実演をするクラブもあり、これから何のクラブに入ろうかと迷っている生徒にはイメージがつきやすかったのではないでしょうか。

1年生だけでなく、2年生などの入部も大歓迎です。運動部だけでなく、文化部も入部する生徒も多くなり活性化してきています。

ぜひ体験入部をしてそれぞれのクラブの特徴を知り、学校生活がより充実したものになればと思います。

 

  2018-04-07 4月7日(土)2018年度 入学式が挙行されました。

4月7日(土)本校にて、入学式が挙行されました。

高校は10:00~、中学は14:00~行われ、それぞれ真新しい制服に身をつつんだ新入生たちが夙川学院の門をくぐり、新たな生活をスタートさせました。
   

夙川学院での1日1日を大切に、勉強にクラブに頑張ってほしいと思います。