イースター礼拝が行われました。 | 夙川学院中学校・高等学校

2018-04-25 イースター礼拝が行われました。

4月24日(火)6限 本校にてイースター礼拝が行われました。

・イースター(復活祭)とは・・・
十字架で死んだイエスが、3日目の早朝に復活したという出来事を記念する日です。
移動祝日(年によって日が異なる祝日のこと)で、毎年春分の日の後の最初の満月の次の日曜日と決められています。今年は、4月1日でした。
イースターの前日までの日曜日を除く40日間を受難節(レント)といい、イエスの十字架の苦難や死の意味について(ひいては自分の周りにもある苦難や死についても)心静かに考える期間を過ごします。それを考えることは、生きることの意味を考えることにつながります。最近では、様々な場所でイースターを春のお祭りとして祝うことも多くなってきていますが、正確にはまだイースターではなく、レントの期間ということになります。
イースターには、新しい命の象徴(命が生まれる)としてゆで卵をデコレーションしたイースターエッグを飾りお祝いします。その卵はイースターの前日にイースターバニーが運んでくる(ウサギは多産の象徴である)という伝説があるため、卵とうさぎがお祝いに使われます。キリスト教の三大祭りの一つでクリスマスより大切にされています。
神がイエスを死から復活させたということは、具体的には、死に象徴される悲しみ、不安、絶望から、喜び、安心、希望へと神が転換させてくれることを信じて希望をもって生きよう、というメッセージがあります。

 

聖書    エゼキエル書37章1~10節(旧1357 ページ)
メッセージ    「絶望から希望へ」 樋口 進 学院長

今日はイースター礼拝です。今日はイースター礼拝です。イースターは、キリスト教の三大祭りの一つです。
イースターは、年によって日が違うのですが、今年は、4月の1日でした。ちなみに来年は、4月21日にあたります。年によっては3月の末になることもあります。とにかく、イースターは、イエス・キリストの復活を記念する日です。復活とは、死んだ人が生き返ることです。そんなこと私たちの頭では考えられないことです。これを科学的に証明する方法はありません。具体的にどういうことが起こったのか、それは聖書にもはっきりとは書かれていないのです。書かれているのは、それぞれの弟子たちが、復活のイエスに出会ったというそれぞれの体験が書かれているのです。それぞれが違う体験をしているのです。ある人は、道を歩いている時に復活のイエスに出会ったのだが、最初のうちはそれが誰か分からなかった。だが、一緒に食事をしている時に、それがイエスだと分かった、しかしその瞬間に消えてしまったというのです。
しかし、共通して言えるのは、その体験によってみんな希望が与えられた、ということです。弟子たちにとって、イエスが一番大事であり、一番頼りにしていたのです。そのお方が、突然、十字架にかけられて殺されてしまったのです。ここで、彼らはみんな、絶望状態に陥ったのです。しかし、復活のイエスに出会うという体験をすることによって、絶望が希望に変えられたのです。そして、イエスの教えていたことの意味がはっきりと分かったというのです。そして、そのイエスの教えを他の人に伝えていく力が与えられたというのです。 さて、今日お読みしたのは、旧約聖書のエゼキエル書です。これは、イエスよりも600年位前の預言者が見た幻の記事です。この幻も、イエスの弟子たちが体験したのと同じようなことが言われています。どんな幻かというと、ある谷に多くの骨が散らばっていた、というのです。おそらくここで、かつて戦いがあり、多くの兵士が殺されたのでしょう。しかし、それから相当時が経ち、もう骨は白骨化していた、というのです。しかし、その枯れた骨に、預言者が神の言葉を語りかけ、神の霊が吹きかけられると、それらは生き返り、多くの兵士となった、と言うのです。ただこれは、幻であって、実際にこのようなことが起こった、というのではありません。それでは、この幻が意味していることは何か、ということです。それは、その後に書かれているのですが、「枯れた骨」というのは、当時のイスラエルの人々の絶望状況を表しているのです。当時のイスラエルは、バビロニアという国に滅ぼされ、多くの人が捕虜として、敵の地に連れて行かれたのです。そこで人々は、絶望状況に陥ったのです。
しかし、この預言者が、その絶望している人々に神の言葉を語り、神の霊が働いてくれるように祈ったところ、生きる希望を与えられた、ということなのです。絶望が希望に変えられた、これが復活の体験なのです。まさに絶望状況にある人に希望が与えられた、これが復活の体験だったと思います。 「アンパンマン」という漫画の作者であるやなせたかしさんは、92歳で亡くなりましたが、彼の自伝的な本に『絶望の隣は希望です』というのがあります。彼は、次のような詩を作っています。
  絶望のとなりに
  だれかがそっと腰かけた
  絶望はとなりのひとに聞いた
  「あなたはいったい誰ですか」
  となりのひとはほほえんだ
  「わたしの名前は希望です」
これは、やなせさんの実際の体験から作られた詩です。彼は、漫画家になったのですが、40代、50代の頃は、代表作がなく、いろんな仕事をしながら、生計を立てていたそうです。そしてしばしば絶望状態に陥ったそうです。そんなとき、ある漫画家の先輩からこう言われたそうです。
「やなせ君、きみが落ち込む気持ちは分からんでもないが、人生はね、一寸先は光だよ。いいね、途中でやめちゃったら終わりだよ」と。ここでやなせさんは、先輩の「一寸先は光」と言われた言葉に、非常に励まされ、地道に漫画を書き続け、ついに「アンパンマン」で大ヒットした、ということです。これはもう、60歳になる頃だったということです。ここから、絶望のとなりに希望がある、という詩を書いたのです。イースターの時に弟子たちが体験したことも、先ほどのエゼキエル書の幻においても、絶望が希望に変えられたことが言われていました。私達も、絶望に陥ることなく、希望をもって人生を歩みたいと思います。それが、私たちにとっての「復活」と言えるのではないでしょうか。

 

礼拝後には、「振り返りとこれからの思い」というテーマで、中1、高1は新しい学校でどんな目標・夢をもって過ごしたいか、中2、3 高2は去年を振り返って、これからどんなことを頑張りたいか、やりたいか、高3はこれからの希望、夢、進路へ向けて考えていることなどを全校生徒が作文を書きました。その中から学年の代表者が作文発表を行いました。

それぞれの想いがつまった文章は、聞いている方も心を動かされました。
この想いを大切に、新年度を歩んでいってほしいと思います。

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